私たち人類はいつアフリカ大陸を離れたのか 世界各地に散った人類の肌の色は多様に
人類の拡散ルートには諸説あり、今も決着はついていない。ギリシアで出土した21万年前の頭蓋骨を別にすれば、最も古い現生人類の化石は8万~18万年前のもので、イスラエルで見つかっている。しかし、もっと遠くの東方まで旅した冒険好きの人類もいた。
中国南部で発見され、2015年に現生人類のものと判定された歯の化石は10万年前のものだ。アラビア半島では12万5000年前の石器が見つかっているし、インドにも7万4000年以上前の石器がある。たぶん彼らは大陸の北東端、いわゆる「アフリカの角」からアラビア半島に入り、さらにホルムズ海峡を越えてアジアに進出したのだろう。海岸線に沿ってさらに東進し、東南アジアに達した人々もいる。
最も大規模な「出アフリカ」はおそらく約7万年前に始まり、6万年前にはオーストラリア大陸まで到達した。ヨーロッパへの移動はもっと遅い。ブルガリアで出土した歯や骨片は4万6000年前、イギリス南西部で見つかった顎骨は推定4万3000~3万4000年前のものだ。こうしてユーラシア大陸の奥まで進出する過程で、私たちの祖先は他のヒト族(ネアンデルタール人やデニソワ人など)とも出会った。彼らとの間で異種交配が起きたことも知られている。しかし約4万年前には現生人類が世界中で優勢になり、他のヒト族は死に絶えた。
遅くとも1万5000年前には、アメリカ大陸にも現生人類が到達した。彼らは東北アジアからベーリング地峡を越えてアメリカ大陸に渡り、南下したものと考えられる。現在はシベリアとアラスカを分かつ海峡となっているが、氷河期には巨大な氷床でつながっていたはずだ。
肌の色の変化
現生人類は最初、肌が黒かった。しかし赤道直下を離れ、もっと日光の弱い地域へ移動するにつれ、強烈な紫外線から肌を守るために黒い色素を維持する必要性が減った。結果、世界各地に散った人類の肌の色は多様になった。光の少ないスカンジナビア地方で、人の肌が白っぽくなったのは紀元前5700年頃のこと。異なる環境に暮らせば、体形や顔の特徴もさまざまに変わっていく。しかし遺伝子レベルで見れば、世界中のホモ・サピエンスはすべて、きわめて近い親戚なのだ。
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