そんなアメリゴには長く付き合っている女性がいた。この女性とは階段などですれ違ったことがあるが、彼らが一緒に暮らしているような気配は無かった。時々近所の大きなガジュマルがある公園のベンチで読書をしている淋し気な彼女を見かけたこともあったが、決して若くもないアメリゴが徹底的に1人暮らしを続ける理由が私たちにはわからなかった。
猫だけがそばにいることを許された
アメリゴは病気を患っていた。いつも苦しそうな咳をしつつ、なのに毎日バルコニーでタバコを吸っているアメリゴに夫は「何故体に悪いとわかっていて喫煙を止めないのですか」と思わず強い口調で言ったこともあった。そのときアメリゴは、ああお前もか、と言わんばかりの諦めた表情で首を振り「放っておいてくれ」と答えて家の中に入ってしまった。ポルトガルの男性は欧州のラテン民族という括りではあるが、イタリア人やスペイン人に比べるとかなり保守的で、強情っぱりなところはどこか日本男子と共通するものがある。なかなか胸の内を開いてくれることもなければ、すべてを表に出すわけでもない。結局うちの猫だけが、アメリゴのそばに好きなだけいることを許される存在だった。
7年ほどその家で暮らした私たち家族はその後アメリカのシカゴへ移動し、リスボンの家は時々アメリゴに様子を見てもらったりもしていたが、3年前、実に久々にこの家へ戻ってみるとアメリゴは寝たきりになっていて、母親と彼女が交替で看病をしていた。すっかり痩せて更に小さくなってしまったアメリゴは、私たちの顔を見ると思い切り大きな笑みを浮かべ「猫は元気かい」と尋ねてきた。猫は数年前に他界していたが、夫は反射的に「はい、元気です」と嘘をついた。アメリゴが亡くなったという連絡が届いたのは、それから間もなくのことだった。
アメリゴが他界した後、そこには彼の母親が暮らすようになった。昨年再びリスボンに戻ったとき、通りで出くわしたアメリゴの母は皺だらけの顔で「私が家族で一番元気なんです。やんなっちゃうわね」と弱々しい笑みを浮かべた。「思い出だらけの場所に居続けるのも辛いけど、あの家は私の人生そのものだから、最後まで守らないとね」と言葉を残すと、イワシの尻尾が覗いた買物袋をぶら下げて去って行く彼女の丸く歪んだ背中に、夕刻の橙色の淡い光がゆらゆらと揺れていた。
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