「快適な暮らし」捨て紛争地で支援活動を行う理由 右足失った男性が口にした「You are our hope」

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スタッフの誰もが本国での快適な暮らしを一時的に脇に置き、自らの職能で援助活動に貢献したいと、自分の人生とはまったく関係のない人たちのために、わざわざアフリカの紛争地に来て働いていた。そんな同僚を誇りに思った。

「こういう人たちと一緒に働きたい」そう強く思うようになり、以来延べ10年以上を活動現場で過ごした。派遣先は計9カ国 、15回に及び、イラク、シリア、南スーダン、イエメンなど紛争地が多かった。

第2次世界大戦後、最悪の人道危機

そのなかで一番大変だったのはどこかと聞かれると、迷いなくシリアのアレッポだと答えるだろう。

「第2次世界大戦後、最悪の人道危機」と呼ばれたシリアの内戦では、数えきれないほどの命が助からなかった。本来であれば救える命だった。

シリアの子どもたち
シリアの子どもたちと(写真:国境なき医師団提供)

2年間にわたるアレッポの派遣期間が終わるころ、情けないことにこう考えていた。「これ以上やってもムダだ。もうやめよう」。

アレッポは、シリア内戦の最激戦地の1つだ。戦闘員と、武力をもたない一般市民が区別されず、学校や病院が次々に攻撃されている場所だ。私たちができていることは大海の一滴のようなもの。悪化する一方の内戦の被害に対し、無力感でいっぱいになっていた。

そんななか、ある患者との会話が、その後の私の人生に大きな影響を与えることになった。

彼は、私と同年代でアレッポ出身。空爆で妻と子を亡くし、自身の右足も失った。活動責任者としてあるまじき行為だが、ストレスでいっぱいだった私は、手術を終えてベッドに横になっていた彼に、あろうことか「もうムダだ」と口走ってしまったのだ。

そのとき、絶望の淵にいたであろう彼はこう言った。

“Please don’t say that.”(そんなことを言わないでくれ)

“You are our hope.”(あなたたちは、私たちの希望なんだ)

“So, please don’t say that.”(だから、そんなことを言わないでくれ)

言葉に詰まってしまった。

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