オバマ夫人が告白、勝手に「レッテル」貼られる怖さ 大統領選でも経験、固定観念がある種の"真実"に
正直なところ、「わたしたちは気高く生きる」というフレーズがそれから何年もわたしについてまわり、わたしの名前とほとんど同義語になるなんて、思ってもみなかった。
わたしはただ、わたしの家族が従って生きようとしていた単純なモットーを分かちあっていただけだ。ほかの人たちが誠実さを失っていくのを目の当たりにするなか、バラクとわたしがそれを手放さずにいるために、自分たちに言い聞かせていた簡潔で便利なことば。
“気高く生きる”は、いつでもさらに努力し、さらによく考えるために心がけていた選択を言い表す手段だった。わたしたちの理想をシンプルに表現したもの。鍋にはいろいろな材料が入っていて、それはすべてわたしたちが幼いときから少しずつ集め、長年かけて煮つめてきたものだった。“真実を語り、まわりの人に最善を尽くして、広い視野を保ち、タフでいる”。基本的にこれが、生きていくためのわたしたちのレシピだ。
バラクとわたしは、“気高く生きる”という考えに個人として何度もコミットし、コミットしなおしてきた。とくに激しい選挙戦と政治闘争を経験し、世間の目にさらされながら生きていこうとするなかでは。
試練を受けていると感じたら、いつもその考えを呼び出して、道徳的課題に直面したときに心を落ちつかせるよすがにした。ほかの人が最悪の姿をさらしているとき、自分はどうする? 攻撃されていると感じるとき、どう反応する?
答えがすぐにわかって、疑いの余地がないと感じることもあれば、なかなかわからず、状況があいまいで、正しい道を見つけるにはさらに考えなければならないこともある。
「気高く生きる」のはいつでも試練
“気高く生きる”は砂に線を引くようなものだ。境界線が見えるようにして、少し時間をかけて考えられるようにする。わたしはどちらの側にいたいの? それは立ち止まってよく考えようという戒めで、心と頭の両方で反応しようという呼びかけだ。
“気高く生きる”のは、いつでも試練だとわたしは思っている。だからこそ、2016年の大会でこの考えをみんなに示さなければならないと感じた。国として、わたしたちは試されていた。道徳的課題に直面していた。反応を求められていた。もちろんそれは初めてではなかったし、当然、最後にもならない。
でもシンプルなモットーには、おそらく問題がある。日々の習慣として実践するよりも、覚えて繰り返すほうが簡単なこと(あるいはマグカップ、Tシャツ、トートバッグ、野球帽、HBの鉛筆一式、ステンレスの水筒、スポーツ用のレギンス、ペンダント、壁にかけるタペストリーに記すほうが。どれもインターネットで売られている)。
小さなことにくよくよするな? 平静を保って戦いつづけよう?
もちろん、どれも大賛成。でもどうやってするのか教えてほしい。
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