多くの場合、いざ体が弱ったり、介護で大変な時期に差し掛かるもっと手前の段階の、時間にも身体的にも余裕があるときのほうが、「もしも」についていろいろと考えることができ、自分の本音に沿った選択をイメージしやすいように感じます。
切羽詰まった状況の中では、本意ではない選択になってしまうことがあるという意味でも、早いうちから話し合えるといいと思います。
一方、「もしも」のときにこうしたいという希望は、その時々の状況で変わって当たり前。目の前にその現実が訪れたときに、希望や結論が変わる場合もあるのは当然です。大切なのは、話し合いで一度決めた内容ではなく、話し合いをするプロセスや、日常の中で話し合える関係性です。
親子で考える「死ぬ前にしたいこと」
「もしも」の話を切り出すときは、子どもたちが先に「自分はこう過ごしたい」というプランを提示してみるのも1つです。
例えば「人生の最期は、リッチな施設で悠々自適に過ごしたい」と思うなら、「あとこれぐらいは貯金しよう」と節約や働くモチベーションになるかもしれないですし、「死ぬまでにあそこに行ってみたい」「あの場所に住んでみたい」など、どこで過ごすかを考えるだけでも、人生の過ごし方が変わってくるかもしれません。
子どもが考えるプランに触発されて、親がその後を考えるきっかけになる場合もあると思います。
一番良くないのは、“もしもの話=嫌な話題”だと思ってしまうこと。ある程度年を重ねてきたら、親だけでなく子どもも同じ“老化仲間”です。親のこれからとともに、自分のこれからも考えながら、日頃から「もしも」の話ができるといいですね。
ネガティブに捉えるのではなく、家族の中で普通に話し合える文化が作れるのが理想的です。旅行の計画と同じような感覚で、「楽しく過ごすためにどう計画するか」と、ぜひ前向きに話してほしいと思います。
(構成:ライター・松岡かすみ)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら