仕事がデキない人がつい口にする「反省の弁」3つ 「努力不足でした」と言うのは悪くないが…
「私たちは製造会社の技術者を対象に、500人を集客しようとしました。そのためにとった行動は、製造会社1000社に向けたテレマーケティングでした」
取引先を対象にした広報活動で、300人の集客は手堅い。だからテレマで200人集客できたら、500人の目標は達成すると見込んでいた、と説明する。
「しかし、実際には20人も集客できなかったのです。大誤算でした。テレマーケティング会社の選定が遅れたことも響きました」
問題の箇所が特定できたら、どのような対策をとっていたらよかったか。「リソース」と「権限」の視点で解説すればいい。
「テレマーケティング会社について詳しいのは、本部長です。私は本部長とあまり話したことがなかったので、親しい広報部の部長に掛け合って、相談すべきでした」
社内にリソースがあるにもかかわらず、それを活用できなかったことを反省するのだ。
「また、あまり費用がかからない安いテレマーケティング会社を使うべきと思い込んだのも反省点です。結果的に、集客のタイミングを逃してしまいました」
集客のための金銭的リソースを使える権限はあった。にもかかわらず、勝手に判断して十分に使わなかった。それにより職務が全うできなかったことは、確かに反省すべき点だろう。
責任を果たすために、ちゃんと自分自身は行動したか。しかるべき人を動かしたか。情報を持っている人に相談したか。
自分だけで成果を出せるわけではない。組織のリソースをどれぐらい活用したのか。そこを反省材料として盛り込むのだ。
変えるポイントは「考え方」や「能力」ではない
変えるポイントは、すべて行動だ。
成果を出せなかったのは、「私」の問題でもないし、「私の考え方」の問題でもない。「私の能力」の問題でもないのだ。
「私がダメなんです」
「私の考え方がいけなかったんです」
「私の能力が足りなかったから、こんなことになったんです」
こういう「反省の弁」は、もうやめよう。
なぜなら、その問題を解決するのに時間がかかるからだ。足りない能力を身につけるのは時間がかかる。
考え方も価値観も、そう簡単に変えられるものではない。ましてや「私自身」は変えようがないだろう。
変化させるのに時間を要するものを問題にしてはいけない。
変えるべきは「行動」である。行動なら、すぐに変えられる。
何がいけなかったのか。何が不足していたのか。期待通りの成果を出せなかった場合は、行動にまで分解して説明する義務がある。ワンフレーズで片付けているようでは、反省したとはいえないのだ。
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