今後、賃上げの動きを好循環に結び付けることができるかどうかのカギは、「準拠集団」ではなく「自己」の捉え方だろうと筆者は考えている。
例えば、1980年代の日本経済の強さを示す言葉として「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というものがある。もともと、社会学者のエズラ・ヴォーゲルが日本人の高い学習意欲、日本的経営、日本特有の経済・社会制度を再評価した著書のタイトルであるこの言葉は、1980年代の日本経済の絶頂期を表わすものとして用いられている。
1985年生まれの筆者には1980年代の記憶はほとんどないが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉からは、日本が一丸となって成長していった姿が想像できる。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という状況では、日本人の個人それぞれの「準拠集団」に対する「自己」が、「日本経済そのもの」となっていたのではないかと筆者はみている。
すなわち、日本に対する誇りのようなものが強く、「自己=日本経済」と捉えられていたのではないか。「自己=日本経済」であれば、日本全体で「横並び」で成長することもポジティブに感じることができる。
家計のノルムは変わるのか
この感覚は多くの日本人が、MLBのエンゼルスで「二刀流」として大活躍する大谷翔平選手に対して感じているものと似ているのかもしれない。
筆者も含むほとんどの人が、大谷選手の活躍とは無関係であるはずだが、どこか誇らしい気持ちになる。「同じ日本人として誇らしい」という感覚である。「自己=個人」と考えれば、大谷選手の活躍から幸福感が得られるはずはないのだが、大谷選手の活躍を耳にしているときは「自己=日本」という感覚なのだろう。
1970~1980年代と比べれば人口構成は大きく変わり、社会はさまざまな年代が幅広く存在する多様化したものとなった。年金所得者が増え、日本経済に求めるものが「成長」だけではなくなっている面もある。「自己=個人」という色彩は日に日に濃くなっているように思われる。多少の賃上げでは家計は動かないだろう。
しかし、大谷選手の活躍と世の中の反応をみていると、「自己=日本」という感覚が現在も残っていることも確認できる。
家計の「ノルム」が変化し、日本経済が前向きな循環に向かうかどうかは、人々の中で日本経済が大谷選手のような誇らしい存在となり、「自己=日本」という感覚が復活してくるか、という問いに集約されるのではないかと筆者はみている。
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