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ハイデガー哲学から考察「人はなぜ、退屈になるのか」。退屈は決してネガティブなものではない

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ハイデガーのイラスト
(イラスト:奈良裕己)

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定年後の生活は大丈夫なのか――。お金と心の不安は何かと募るが、50代から戦略を立て、必要な知識をしっかり仕入れておけば老後の人生は思ったより楽しい。定年後の疑問や不安を本特集で一つひとつ解消してほしい。

定年後、会社から離れて急に暇になると退屈を感じ、中には不安にすら襲われる人もいるだろう。この「退屈」や「不安」の本質を突き詰めたのがドイツの大哲学者、マルティン・ハイデガーだった。彼の主著『存在と時間』や『形而上学の根本諸概念』などにおいて、とくに「根本気分」を深く研究する学習院大学の陶久教授に解説してもらった。

「浅い退屈」と「深い退屈」

──退職後のシニアは退屈を恐れ、「きょういく」(今日行く所)と「きょうよう」(今日の用事)を求め続けます。ハイデガーは退屈をどう定義したのでしょうか。

例えば、電車を待つ羽目になり手持ち無沙汰になるなど、直接的に何かに退屈させられること、あるいはあの会食は実はつまらなかったと、後から感じる空虚さ。これらはいわば「浅い退屈」だ。

これに対してハイデガーが「深い退屈」として挙げたのが、休みの日に散歩をしているときなどにふと感じるような退屈。理由がわからないけれども、そこはかとなく感じる気分。あらゆるものが色あせて、すべてのものが興味を引いてくれない。普通ならあれが好き、これが嫌いと、物が遠近をもって現れるけれど、すべてがのっぺりした感じになる。あらゆるものが自分を刺激することなく、自分の思いどおりにならないような状態に引き渡される。何かに呪縛されているようで、その感覚から逃れられない。そういったものだ。

──深い退屈は、なぜ湧き上がってくるのでしょうか。

ハイデガー曰(いわ)く、それは人間が将来、既在(過去)、現在といった時間において生きているからだ。

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