やっぱり芦田愛菜は"無敵"であるといえる理由 子役時代から成人した現在までの軌跡から読み解く
この番組はバラエティ番組だが、笑いというよりは「博士ちゃん」と呼ばれる子どもたちの凄さを堪能する番組だ。「博士ちゃん」は、自分の好きな特定の分野に関して大人も顔負けの知識を持っている子どもたちの呼び名。
戦国時代やエジプト文明といった歴史、信号機などの日常生活で身近なもの、さらには昭和歌謡のような世代を越えたものまで、意外な分野について驚くほど博識な子どもたちが登場してレクチャーしたり、実際に現場に出かけたりする。この番組の芦田愛菜は、そうした子どもたちにとって一目置かれたお姉さん的立ち位置だ。
番組そのものに、「無垢で可愛らしい」といったありがちな「子どもらしさ」とは異なる部分に子どもの魅力を見出そうとするようになった時代の変化が感じられる。大人顔負けだからと言って「子どもらしくない」わけではない。子役時代から成熟した知性を感じさせた芦田愛菜は、そうした時代の先駆けだった。
芦田愛菜は新しい時代のスター
もちろん子どもが大人によって守られるべき弱い存在であることは変わらない。だがもう一方で、いまの時代、大人と子どもの境界は曖昧になりつつある。子どもは大人が思うほどなにも考えていないわけではない。むしろちゃんと自分で考え、道を切り拓くことができる。その事実を象徴する存在が、芦田愛菜だったのではないだろうか。
まず、彼女が演じてきた役柄がそうだった。『Mother』では、血のつながりにかかわりなく、幼くして自分の意思で親を選ぶ役柄を演じていた。
『マルモのおきて』の役柄にも同じく新しい家族を自ら参加して築くという側面があった。そして最新出演作の『最高の教師』では、苦境に陥りながらも安易に大人に頼らず、建前に終始する大人の欺瞞を鋭く指摘する高校生を演じている。
そして芦田愛菜は、成人した19歳の現在に至るまで、実人生においてもまたそのように自ら進むべき道を選んできているように見える。普段の彼女は温厚そのものという印象だが、その意志の強さという点においては役柄の人生と実人生がオーバーラップしている。
こうして芦田愛菜は、俳優としても、またひとりの人間としても、自立して生きるにはどうすべきかをずっと体現してきた。大人か子どもかという既成概念にとらわれず、「自分は自分」という軸が決してぶれない。それはすなわち、“無敵”であるということだ。ひとつ先の未来を生きる、新しい時代のスターと言うべきだろう。
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