ニューヨーク市立大学のポール・クルーグマン教授曰(いわ)く、「フィッチはアメリカを格下げしたが、これは広く正しく嘲笑されている」。
また、ラリー・サマーズ元財務長官曰(いわ)く、「アメリカは深刻な長期的財政課題に直面している。しかし、経済が予想以上に好調に見える今日、格付け会社が格下げするという決定は奇妙で無策だ」。
確かに奇妙なことなのである。フィッチは「20年間にわたるアメリカにおけるガバナンスの着実な劣化」に対して警鐘を鳴らしている。つまり、アメリカ経済よりも政治に問題あり、ということである。
いや、それにしたって6月3日には「財政責任法」が成立して、債務上限問題は2025年1月まで先送りされたではないか。それも与野党の中道派が一致して、法案は上下院ともに大差で成立している。
法案に署名する前夜、ジョー・バイデン大統領はオーバルルーム(大統領の執務室)から、「危機は去った。アメリカの未来は守られた」「この国の民主主義を動かすためには、妥協と合意があるのみだ」と国民に向けて語りかけている。だったらフィッチは何を心配しているというのか。
フィッチの懸念が少しは理解できるワケ
とはいうものの、年初から「揺れるアメリカで『まさかの6月危機』はあるのか」などの記事で、債務上限問題を警戒してきた筆者としては、フィッチの懸念が少しは理解できる気がしている。
アメリカ国債が格下げになったのは、歴史上これが2回目となる。前回は2011年8月、S&P(現S&Pグローバル)によるもので、あの年も債務上限問題が契機であった。
当時の市場は「これぞ絶好の買い場」と受け止め、アメリカ国債は売られるどころか、むしろ積極的に買われて長期金利は低下した。その結果、ドル円レートは円高に向かい、その年の10月には1ドル=75円32銭という史上最高値をつけたものである。つまり、格下げは「単なる材料の1つ」と受け止められたのだ。
それが今回は、格下げに伴ってアメリカ国債が売られ、長期金利が上昇するという「まっとうな」反応を招いている。そうだとしたら、フィッチの指摘には、市場から見てどこか「腹落ちする」要素が含まれているのではないだろうか。
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