それは、業務の抱え込みすぎである。
確かに、少子高齢化も影響して、行政の役割が拡大している。高齢化が進むにつれ、医療や介護にまつわる行政の業務は年を追うごとに増えている。独居高齢者や空き家の対応も、民間では解決できずに行政に委ねられている。
他方、これまで営んできた業務や事業は、容易に廃止することができず、ニーズが明らかに減っているものであっても、継続して実施していて、そこに行政職員が業務時間を割くことになる。
新たな業務が増える一方、必要性が低下した業務をやめられない。仕事を抱え込みすぎなのである。それでいて、公務員の定数は、以前ほど減らさなくはなったが、業務量が増えるほどには増えていない。
これでは、国家公務員の多忙化には歯止めがかからない。人員に合わせて、抱える業務を適正化することが必要だ。
なり手不足なのだから、肥大化よりも適正化を
ただでさえ、過去の学術研究でも、洋の東西を問わず「官僚の肥大化」が指摘されているだけに、なおさらである。官僚の肥大化とは、さまざまな機会や理由を捉えて、官僚が自らの権益を拡大しようとする様を指している。
今や、なり手不足に陥るほどに多忙化しているのだから、官僚の肥大化などと言ってはいられない。なり手を確保するには、仕事量を適正化して、職場環境を改善しなければならない。
これは、霞が関だけで起きているわけではない。「教員不足」にも共通点が見られる。教員の多忙化も一因となって、そうした働き方が敬遠されなり手不足に陥っている。
教員の多忙化は、総授業時数の増加や中学校の部活動時間の増加、これまでにはなかったアクティブラーニングやデジタルデバイスへの対応などが理由として挙げられているが、それだけではない。教員が学校にまつわる業務を抱え込みすぎていることも助長している。
東洋経済オンラインの拙稿「公立小中高・特別支援学校は2056人の『教員不足』」でも詳述したが、外部専門人材を教務で活用したり、地域住民と連携して教員の業務負担を軽減したりすることができる。しかし、それを積極的に進めていない学校が多い。
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