松本明子が語る「実家じまい」の壮絶な苦労と教訓 特集「相続・登記・空き家2024年問題」インタビュー

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「頼む」とは、具体的にいつまで管理すればいいのか。明確に聞けなかったが、宮大工に頼んで建てた父のこだわりの詰まった家。「おまえが守ってくれ」ということだったのだろう。父は生前「実家回りの管理は娘に託す」と公証役場に遺言書も残していた。

4年後には母も他界し、41歳で実家を相続することになった。

──その後は、どのように実家を管理していたのですか。

いつか片付けないと……と頭では思っていながら、東京と香川には700キロメートルの距離がある。仕事が忙しいうえに息子もまだ小さく、結局ずるずると放置し続けてしまった。固定資産税、火災保険料、光熱費は払いっぱなし。市役所から「庭木や雑草の駆除をしてください」と督促を受け、年に約10万円を払ってシルバー人材センターに依頼した。27歳で両親を東京に呼び寄せてから51歳で手放すまでの約25年間、これらの必要経費だけで総額1000万円かかった。

さらにその間、2回にわたりリフォームをした。1回目は東日本大震災を機に「東京で大地震が起きたら避難しよう」との考えがあった。2回目は実家の賃貸か売却を想定してフローリングの張り替えなどを行った。これらのリフォーム費用が計600万円。後々の遺品整理に要した費用も含めるとトータルで1800万円を超える。

1週間で遺品を「断捨離」

──リフォームして、借り手や買い手は見つかったのですか。

それがなかなか……(笑)。親戚一同に「誰か住んでくれる人はいない?」と声をかけたり「近所の集会所として使ってもらえないか」と提案したりしたものの色よい返事はない。わらにもすがる思いで空き家バンクにも登録したが、交通が不便なゆえに希望額と程遠い応募ばかりで正直落ち込んだ。

処分の可能性も考え鑑定を依頼したら、土地だけでわずか200万円。父こだわりの家屋の価値は償却されてゼロだった。さらに「解体費用が500万円」と言われて「えーっ!」。実質300万円のマイナス査定で、加えて更地にすると固定資産税も上がる。厳しい現実を突きつけられた。51歳のときに“救世主”が現れた。空き家バンクに問い合わせのあった70代のご夫婦が実家を内見して「すぐにでも住めるじゃないか」と即決。600万円で引き取ってくれた。

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──結果としてリフォームが奏功し、買い手が見つかったのですね。

何とかリフォーム代は回収できた。ただ、今度は「早く引き渡してください」と言われ、実家の家財道具や遺品の片付けに追われた。1週間、健康ランドに寝泊まりして毎日朝から15時間かけて、譲るもの、引き取るもの、捨てるものにすべて仕分けした。親の遺(のこ)した品々は自分の目で確かめたかったので業者には頼まなかった。

母の着物や洋服は地元のスナックのママに引き取ってもらい、衣装会社にも「時代物の撮影用に」と譲った。父の蔵書を抱えて古本屋も回った。「ものまね王座決定戦」のトロフィーなど若い頃に実家に送り込んでいた品々も出てきて、ブーメランで私に返ってきた(笑)。自宅に持ち帰った遺品は段ボール箱10箱分。夫にはあきれられた。

次ページ両親に感謝する貴重な時間でもあった
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