北条の「圧倒的な大軍」が家康に戦意喪失の驚き 旧武田領巡り、上杉・北条・徳川で三つ巴の争い

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そうして分散するところをねらって、徳川勢の鳥居元忠ら2000の軍勢が出現。北条軍を追い詰めている(『三河物語』)。

「急な敵の出現におどろく北条軍をそこここに追いつめて殺すと、全軍総敗退となり、 御坂を目指して逃げて行く。左衛門助殿もかろうじて命は助かり、 御坂を目指して逃げ落ちて行った」

鳥居元忠は、家康が今川氏の人質だった頃からの側近の1人である。

このときに名立たる者を300人あまり討ち取ると、その首を新府城に送った。そして若神子城にいる北条方にもよく見えるように首を晒して、相手の戦意を喪失させている。

思えば、このときは調略に失敗した酒井忠次だったが、かつて武田勝頼を相手に繰り広げた長篠の戦いにおいては、奇襲攻撃に見事に成功。重臣らしい活躍を見せている。

そして今回、北条氏直を相手どった黒駒合戦では、忠次と同じくベテラン家臣である、鳥居元忠が勝利に貢献することとなった。

こうして日替わりで家臣団からヒーローが出るのが、徳川軍の強みである。家臣たちが生き生きと活躍できる雰囲気づくりに、家康は日頃から心を砕いていたのだろう。

41歳で5カ国を治める大名となる

結局、そのまま徳川方も北条方も、決め手を欠いたまま、約80日あまりの膠着状態が続く。

和睦を申し出たのは、北条氏直のほうだ。北条に味方していた真田昌幸が寝返って、徳川方につき、ゲリラ戦を展開したことに、ずいぶんと苦しめられたらしい。

和睦の結果、北条は上野を、家康は甲斐と信濃を領有することが認められた。また、家康の次女である督姫は、北条氏直のもとへ正室として嫁がせることになる。徳川と北条の間には婚姻・同盟関係が結ばれることとなった。

こうして家康は、甲斐・信濃・駿河・遠江・三河の5カ国を治める大名となった。41歳のときのことである。それから8年後、このとき手に入れた国をすべて手放し、関東へと国替えとなるとは、さすがの家康も予想しなかったであろう。

【参考文献】
大久保彦左衛門、小林賢章訳『現代語訳 三河物語』(ちくま学芸文庫)
大石学、小宮山敏和、野口朋隆、佐藤宏之編『家康公伝〈1〉~〈5〉現代語訳徳川実紀』(吉川弘文館)
宇野鎭夫訳『松平氏由緒書 : 松平太郎左衛門家口伝』(松平親氏公顕彰会)
平野明夫『三河 松平一族』(新人物往来社)
所理喜夫『徳川将軍権力の構造』(吉川弘文館)
本多隆成『定本 徳川家康』(吉川弘文館)
笠谷和比古『徳川家康 われ一人腹を切て、万民を助くべし』 (ミネルヴァ書房)
平山優『新説 家康と三方原合戦』(NHK出版新書)
河合敦『徳川家康と9つの危機』 (PHP新書)
二木謙一『徳川家康』(ちくま新書)
日本史史料研究会監修、平野明夫編『家康研究の最前線』(歴史新書y)
菊地浩之『徳川家臣団の謎』(角川選書)
太田牛一、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)

真山 知幸 著述家

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まやま ともゆき / Tomoyuki Mayama

1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年独立。偉人や歴史、名言などをテーマに執筆活動を行う。『ざんねんな偉人伝』シリーズ、『偉人名言迷言事典』など著作40冊以上。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義(現・グローバルキャリア講義)、宮崎大学公開講座などでの講師活動やメディア出演も行う。最新刊は 『偉人メシ伝』 『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』 『日本史の13人の怖いお母さん』『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』(実務教育出版)。「東洋経済オンラインアワード2021」でニューウェーブ賞を受賞。
X: https://twitter.com/mayama3
公式ブログ: https://note.com/mayama3/
 

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