(第62回)迫る炎に油を注ぐ愚 インフレに金融緩和

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石油ショック時には需要抑制策が採られた

これは石油ショック後のイギリスの状況と似ている(拙著『経済危機のルーツ』、東洋経済新報社、2010年を参照)。国内でインフレが進み、ポンドが下落した。しかし輸出は増加せず、貿易収支は悪化した(この時、イギリスの貿易収支が悪化したのはJカーブ効果による。つまり、貿易量が変化するより早く、ポンド表示の輸入価格が上昇し輸出価格が下落したのだ)。これによってイギリスは、深刻なスタグフレーションに陥った。アメリカでもほぼ同じ現象が生じた。

この当時のイギリスの情景は今でもはっきりと思い出せる。ロンドンの目抜き通りの店は軒並み閉まっていた。地方都市はもっと悲惨だった。大英帝国時代に作られた石造りの豪壮な市庁舎の前で、ごみが風に舞っていた。共同研究プロジェクトのイギリス人研究者は、「イギリス全土が大英博物館になってしまった」とぼやいていた。イギリスもアメリカも、
この時に受けた経済的打撃から20年にわたって回復することができなかった。

日本は総需要抑制政策を採り、金融引き締めを行った(公定歩合は9%に引き上げられた)。円高が生じたがそれが容認されたため、ドル表示の原油価格が上昇したにもかかわらず、国内での影響は緩和された(日本では価格の上昇よりは量的制約の影響のほうが強かったのである)。

石油ショックへの対応において、日本は世界の優等生だった。省エネ技術の開発や労働組合の賃上げ要求自粛などがその原因だといわれることが多い。それが寄与したことは事実だが、もっと重要だったのは、マクロ経済政策が正しかったことなのである。

供給制約の下で需要が増えればインフレーションになる。石油ショック時には、1974年度予算に盛り込まれていた列島改造関連の公共事業が需要増加要因だった。それを急きょ取り除いたのだ(もう一つの需要増加要因は、所得税の大減税だった。しかし、これは田中角栄首相の強い意向でそのままになった)。今後の日本での需要増加要因は、復興投資である。しかし、これは取り除くことができない。需要を抑制するためになしうるのは、一つには金融引き締めで円高を実現すること(それによって輸出-輸入を減少させる)。もう一つは増税によって消費を減らすことである。それができなければ、インフレによって強制的に消費を抑制するしかない。

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