屋内退避の南相馬で何が起きているか--弱体化した医療の回復へ、現場の努力が続く
マルイ眼科の目の前にあるうさぎ堂は普段、目薬など眼科関係の医薬品の調剤が主体だった。ところが患者の求める薬はさまざま。「特に分量が多い精神科の薬は調剤すれども追いつかず、仕事が終わるのは毎日深夜0時過ぎ」(伏見社長)。マルイ眼科の佐柄英人院長(下写真)も、「今まで経験のない精神科の処方箋書きを、伏見社長のアドバイスを受けて続けてきた」。
「1日も休まず」の思いは、佐柄院長も同じ。診療所の再開は3月25日だったが、その間も診療所内で処方箋を書き続けたのである。
避難生活で体調が悪化 打撃受ける福祉作業所
佐柄院長は気持ちの揺れたときがあったという。「実は一度、両親を連れて栃木県との県境にある、白河市まで避難した」と佐柄院長。それでも「長崎県から市内に応援に来ている医師もいるのに、自分だけ逃げるわけにはいかないと考えた」。家族を白河市内のアパートに移した後、佐柄院長はすぐ診療所に戻ってきた。そして伏見社長と連携して、400人分の処方箋を書いた。
南相馬市医師会長を務める高橋亨平・原町中央産婦人科医院院長(下写真)。原発事故後も診療を継続してきたが、「3月19日の1日だけ休んだ」(高橋院長)という。
「私が辞めないうちは、職員も辞められないだろうと感じて診療を休止した。しかし、ボランティアとしてほかの場所で診療を手伝っている職員を知り、職員たちを置いてきた負い目を感じ戻ってきた」と振り返る。4人の看護師の協力を得て3月22日から診療を再開した。