屋内退避の南相馬で何が起きているか--弱体化した医療の回復へ、現場の努力が続く

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縮小


 というのも、南相馬市の中心部が「屋内退避指示区域」のままだからだ。市内は「避難指示区域」(警戒区域)で立入禁止の20キロメートル圏、規制のない30キロメートル圏外に3分割され(下地図)、生活に支障が生じている。

特に医療の縮小は深刻で、大打撃を受けたのが精神科だ。

人口約20万人の相双地域(相馬および双葉地区)では、双葉厚生病院や小高赤坂病院など四つの病院が精神科医療を担ってきた。が、すべての病院が原発から20キロメートル圏内の避難指示区域にあったため、原発事故直後に閉院を余儀なくされた。

精神科の入院患者はほかの地域の病院に移送された一方、グループホームで生活していた患者や自宅からの通院患者は、受け入れ先医療機関が決まらぬまま取り残された。精神科の薬を求める患者は、屋内退避指示後も開業していた20~30キロメートル圏内のわずかな数の医療機関に押し寄せ、調剤薬局の前に行列ができた。

南相馬市原町で薬局店舗を構える、うさぎ堂(下写真)。伏見義広社長(薬剤師)は、自宅や一部店舗を津波で流されたにもかかわらず、震災後も残る店を開け続けた。そこに患者がどっと流入。原発事故さなかの3月14日、「薬を求める患者さんが30人以上も店の前に並んだ」と伏見社長は振り返る。


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