それが変わり始めたのが、私鉄の乗り入れにより乗換駅として機能し始めた頃から。開業当時、山手線を建設した日本鉄道は現在の東口(ルミネエスト新宿付近)に駅舎を建て、1906年に改良工事が行われた際には、これを甲州街道に面した現在の東南口付近へ移した。その駅舎前にまず1915年に停留場を設けたのが京王電気軌道(現在の京王電鉄)だ。甲州街道を走る併用軌道上の駅であった。
1927年には小田原急行鉄道(現在の小田急電鉄)が西口側にターミナル駅を構えた。京王線が新宿追分から現在地へターミナルを移したのは、小田急ともども東京急行電鉄に強制合併させられていた、太平洋戦争末期の1945年である。戦後はそれぞれにデパートを構え、商業施設を整備。西口側の発展に貢献した。
西口の地下広場が完成したのは1966年。淀橋浄水場跡地の再開発により誕生したビル街や、各デパート、そして各線の乗り場を結ぶルートが交錯するところとして、さまざまな歴史的な騒乱事件の現場ともなりつつ、新宿駅の一つのイメージを形作ってきた。1991年には東京都庁が丸の内から移転してきて、新宿こそ東京の中心地としての地位も確立している。
再開発計画が進行中の西口側
その西口も今、小田急百貨店新宿店本館だった建物の建て替えを中心とする再開発工事が進んでおり、また姿を変えようとしている。京王新宿駅の上から甲州街道を挟んで南側でも、京王電鉄とJR東日本が共同で再開発計画を進めている。こうした変化については、さまざまに紹介されているが、基本はほかと変わりなく既存の建物の高層化による有効面積の拡大である。
コロナ禍とリモートワーク一般化による利用客減少に見舞われ、名古屋などでは再開発計画の見直しといった事態も発生している中、東京、新宿だけは違うとばかりに、これらの計画は推進中だ。さらには歩行者空間としての西口広場、東口広場の整備、駅上空を通り東西を結ぶ歩行者デッキの建設も構想されており、新宿駅周辺エリアのポテンシャルはまだ高そうである。
2000年に始まった甲州街道跨線橋の架け替え工事により先に整備された新南口や、2016年開業のバスタ新宿方面では、歩行者空間が拡大され、従来の錯綜した動線や乗車待ちタクシー、各所に分散したバス乗り場などのよる道路上の混雑も大きく改善。山手線の線路を挟んだ新宿サザンテラスやバスタ新宿南側のSuicaのペンギン広場、タカシマヤ タイムズスクエアなどを結んだルートが整えられ、新宿に新しいにぎわいが生まれている。
ただ、これらのエリアと、現在の西口側のエリアを結ぶルートは、今後の整備待ちといったところ。今は地上の歩道は決して広くはなく、地下街の小田急エース南館や京王モールを通らないと動きづらい。甲州街道の横断もネックだ。西口の再開発によって、これらの改善を期待したい。
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