震災から1カ月以上休まず診療、長期戦を覚悟、政府は開業医にも配慮を--福島・浪江町の関根俊二・国保診療所長に聞く
翌12日は夜明けとともに、薬を求める人々が一度に350人もやってきました。津島地区には国保診療所しか医療機関がなく、12~15日の4日間にわたり、パニック状態の中で診療を続けました。
浪江町で開業していた診療所の医師も加わり、押し寄せる患者さんへの診療に当たりました。しかし、あっという間に医薬品がなくなってしまい、医薬品卸会社に急きょ依頼して持ってきてもらいました。
人工透析の患者さんも最初に十数人が訪れ、その後もどんどん増えていきました。当初は社会保険二本松病院(福島県二本松市)に受け入れをお願いしましたが、それだけでは対応できなかったため、町の職員に透析患者さんをリストアップしてもらい、各地の病院への移送手続きをお願いしました。
そして15日に原発から半径20~30キロ圏が「屋内退避区域」に指定されたため、「長く診療を続けることはできない」と判断し、同日午後2時に診療所を閉鎖しました。そして、6000人以上にのぼる避難民とともに、ここ(二本松市東和地区)にやってきました。
4月中旬現在、東和地区の20数カ所に避難所が置かれ、二本松市東和支所の一角を借りて臨時の浪江町役場が設けられています。そして、3月19日から、浪江町の医療従事者とともに、この地で仮設の診療所を運営してきました。そして、4月中旬現在に至るまで一日も休まずに診療を続けてきました。
■浪江町が仮の役場を置く二本松市東和支所
■被災者に対応する浪江町の職員