震災から1カ月以上休まず診療、長期戦を覚悟、政府は開業医にも配慮を--福島・浪江町の関根俊二・国保診療所長に聞く
福島県浪江町は町の中心部が福島第一原子力発電所から半径10キロメートル以内の至近距離にある。同原発の爆発事故をきっかけに全住民に避難指示が伝えられ、大震災翌日の3月12日から住民は着の身着のままで町からの脱出を迫られた。
パニックのさなかに診療に従事した関根俊二・浪江町国民健康保険津島診療所所長(写真)に、当時の診療の様子およびその後の避難先での医療活動について聞いた(※インタビューは4月14日に行った)。
■関根俊二・浪江町国民健康保険津島診療所所長
--3月11日の大地震発生当時の様子はいかがでしたか。
津島診療所は同じ町内にありながら、原発から20キロメートル以上離れた阿武隈山地にあります。へき地診療所の所長として、ふだんは1日に35~40人の患者さんの診療に従事していました。
3月11日午後2時46分、診療の真っ最中に横揺れが起き、長く続きました。これはただごとではないと思いましたが、まさか津波が町内の沿岸部に押し寄せているとは思いもせず、通常の仕事を続けていました。すると午後4時過ぎに、津波で家を流されたという人がやってきました。ただ、この日は避難民の数はさほど多くなかったので午後5時30分に診療を終えました。「明日土曜日は休みにはならないかもしれないね」などと、職員と話をしていましたが、翌日目にした光景は驚くべきものでした。
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