世界的人気「BTS」と「ユング心理学」の意外な接点 自分たちは「何者であるか」を問い続けてきた

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私の目にBTSは、何かを表現したい気持ちを持ったマージナルな7人の若者たちがたまたま出会い、ユング心理学などを通して自分の個性を探し、その中で自分の内から出てきた言葉を伝える努力を続けるうちに、たまたま時流に乗ることができた──ように映る。

偶然と努力と運とが絡み合って起きたことで、意図的に作り出そうと思ってできることではない。だから、第2のBTSを目指して2匹目のドジョウを狙っても、たぶん無駄である。

それでも、BTSに憧れてアイドルになりたいと願う若者は後を絶たないし、最近では、日本から韓国に渡り、韓国の芸能プロダクションに所属する人や、K-PОPアイドルグループの日本人メンバーとしてデビューする人も増えている。K-POPでなくても「アイドル」というものに憧れる子どもや若い人は多く、心理臨床の現場でも「アイドルになりたい」と話す若いクライエントは少なくない。

1人の大人としては、「そうはいってもアイドルになれるのは一握りだし、なれたとしてもストレスが多くて大変な仕事だよ?」とつい余計なことを思ってしまうが、ユング派分析家としては、その背後で働くこころの動きをとらえなくてはなるまい。

もちろん、承認欲求やお金、華やかな世界への憧れなど、表面的な理由は多々あるだろう。だが、根底には「アイドル」というシステムがある種のイニシエーションとして機能していることがあり、そこに自分も参加したいというこころの動きがあるのではないかと思う。

新しい自分を再生することの意味

イニシエーションは、民俗学や文化人類学の分野でよく知られているが、ユング心理学でも使われる概念であり、通過儀礼と訳される。人生の節目で行われる体験を伴う儀式のことで、現代では体験の部分が形骸化しているが、例えば卒業式や成人式、結婚式などがイニシエーションとしてあげられる。

心理学的には、今までの自分が死んで新しい自分に再生するという変化を、儀式を通じて体験することにその意味がある。

部族的な社会では、今でも刺青やバンジージャンプなど、痛みや危険にさらされるような身体的な体験を伴う通過儀礼が行われているが、現代の日本のような近代化された社会では、儀式からこうした身体性が排除されてしまった。

それゆえ、「卒業」、「成人」、あるいは「結婚」も日常の延長と化し、心理的な区切りになりにくい。学校を卒業しても、成人を迎えても、結婚しても、ほとんど変わらず、「大人になれない」人は少なくない。

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