ホンダが「脱エンジン」で大ナタ、系列は戦々恐々 宗一郎時代から取引の八千代も印企業に売却へ
「本田宗一郎が作ってきたホンダのイメージが壊されていくのではないか」。あるホンダ系部品メーカーの首脳はそうため息をついた。
ホンダが7月4日、子会社で自動車部品メーカーの八千代工業をインドのサンバルダナ・マザーサン・オートモーティブ・システムズグループ(マザーサン)に売却すると発表した。50.4%出資しているホンダがTOB(株式公開買い付け)を実施。一旦、完全子会社化したうえで81%に相当する株式をマザーサンに売却する。関係当局の承認手続きなどを経て、2023年10月にTOBを始める計画だ。
ホンダと八千代の関係は、ホンダが4輪事業に参入する前の1950年代にさかのぼる。1953年に金属焼付塗装業を主とする八千代塗装として設立した後、本田宗一郎社長(当時)から2輪部品の塗装を任される形でホンダの指定工場となった。
ホンダの軽自動車を生産していたことも
1972年には埼玉県狭山市の柏原工場でホンダの軽自動車の受託生産を始めるとともにホンダからの出資も受け入れた。リーマンショック後に、八千代がホンダ車の組立工場建設中止に追い込まれ、当時の社員数の3割に当たる771人の早期退職を強いられた。この時に退職金の特別加算金と再就職支援費用の一部をホンダも負担するなど、系列の中でも特別近い関係だった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら