「表現する」「つくる」というと、まず思い浮かぶのは、実際に手などを動かして、なにかをかたちづくる作業でしょう。文章でいえば言葉を書いていく作業がそれですが、いろんな情報や要素といった素材を加工しつつ、構成を工夫したり、順序立てて配置したりしながら、「組み立てる」ようにして、かたちにします。
でも、それはあくまで〈表現物〉をつくる最終段階の話です。
実際には、その前に「組み立て」のために「必要な素材を集めるプロセス」が存在します。
文章でいえば、盛りこむべき事実だったり、データなどの情報だったり、考えや思いだったりといったものをあちこちから見つくろう。いわば素材を「選びとる」プロセスです。
文章を書く前にしておきたいこと
こう書くと、執筆のための下調べの話のようですが(それも含みますが)、いまここでとくに注目したいのは、もっと思考に近い部分の意識の動きです。振り返って思い浮かべていただくとわかるように、文章を書いたり、話をしたりするときには、誰しも、
「あの出来事を書こうかな……。いや、ふさわしくないか」
「あのデータを入れてみようか……。いいかもしれない」
などと、いろんなことを思い出しながら、盛りこむべき素材を吟味します。そして、そこでふさわしい、適切だと判断したものをつかって、文章やお話を「組み立て」ていく。
あくまでおおざっぱにいえば、ですが、私たちは素材を「選びとって」、それを「組み立てる」という、この2つのプロセスを経て、伝えるための〈表現物〉をつくっているのです。
ある基準にそって取捨・選択する意味の「整理」と、あるべき場所に置くという意味の「整頓」をあわせた「整理整頓」という言葉がありますが、イメージとしては「選びとる」が整理、「組み立て」が整頓です。
となると、先ほども指摘したように、文章にせよ、ほかの〈表現物〉にせよ、注目されるのは最後の「組み立て」のプロセスであっても、実際に〈表現物〉の出来を左右する、つまりは適切な伝え方ができるかどうかは、「選びとる」プロセスにかかっているといえます。
いくら腕のいいシェフでも、肉が用意されていなければステーキをつくることができないのと同じで、集めた素材が的はずれであれば、そもそも的を射た=伝わる〈表現物〉をつくりようがないからです。
では、適切に素材を「選びとる」にはどうすればいいのか。必要なものかどうかを見きわめるには、判断のもととなる“ものさし”が不可欠です。
その“ものさし”となるのが、「伝えるべきこと」なのです。
「伝えるべきこと」がはっきりわかっていると、“ものさし”が明確ですから、「はっきり選びとる」ことができるようになります。「伝えるには、この情報が必要だ」と、適切な素材を選びとることができる。
「伝えるべきこと」は、いわば「伝え方」の扇の要のようなものなのです。だからこそ、なによりも最初に「伝えるべきこと」を明確にする必要があるのです。
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