「虐殺の町」ブチャで進む復興と占領の過酷体験 ウクライナで見た戦時下の緊張と未来への胎動

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義勇軍に対しては、極右イデオロギーを持っており、捕虜の虐待など戦争犯罪を行っているとの批判がある。また、最近のロシアの民間軍事会社「ワグネル」の反乱に見られるように、非正規軍が政府や正規軍の指揮におとなしく従っているとは限らない。戦況が一段落すれば、ウクライナでも民族主義的な義勇軍をどう管理するかが問われるだろう。

ジョージア軍団のキャンプ敷地内にある芝生のグラウンドでは、大学生が軍人から基本的な軍事教練を受けていた。女子学生20人に比べ男子学生4人と少ないが、男女比率は学科によって違う。大学生であれば原則的に徴兵されないから、男子が少ないのは徴兵のためではない。

芝生のグラウンドで銃を持つ大学生たち
ジョージア軍団のキャンプ敷地内で軍事訓練を受ける大学生たち(筆者撮影)

この訓練はジョージア軍団とは関係がなく、定期的に行っているとのことだったが、ロシアの侵略に直面するウクライナにとって、国土防衛こそが最優先の現実であることを痛感する。こうした中、義勇軍の負の側面を指摘することは事実上、当面不可能だろう。

ブチャで生き延びた女性が語る占領体験

ブチャは首都キーウの北西、車で40分ほどの住宅地だ。2022年3月初めから4月初めまで、約1カ月続いたロシア軍の占領下で、民間人多数が殺害されたことが明らかになり、世界に衝撃を与えた。ブチャ市全体では、明らかに処刑された人も含め637人が殺害されたとみられており、今回の侵略の非人道性を物語る象徴的な場所となっている。

街の中心部にある瀟洒なレストランで、地元で声楽を教えているアンゲリーナ・バルトシュさん(31歳)にロシア占領下での体験を聞いた。

ブチャの女性、アンゲリーナ・バルトシュさん
ブチャ占領下の体験を語るアンゲリーナ・バルトシュさん(筆者撮影)

ロシア軍は侵略開始の直後、キーウ北西2キロほどのホストメリの空港を占領し、そこを拠点に南進しキーウ攻略を目指した。ブチャでは2月27日、5時間にわたる戦闘が起き、バルトシュさんは夫、娘らとともに自宅の地下室に避難した。

特に激しい戦闘があったのは、街をほぼ南北に貫くヴォクザルナ通りで、自宅はこの通りから2軒奥に入った場所にある。近所の家はほとんどが被害を受けたが、奇跡的に自宅は破壊を免れた。

3月3日から占領が始まった。3月5日夕、ロシア兵が家にやってきて、「どこへも行くな。静かにしていろ」と言って、スマートフォン、充電器を奪った。父のスマホにヴォクザルナ通りの破壊されたロシア軍の車両が写っていた。ウクライナ軍に協力したと疑ったロシア兵は、父と夫を連行した。

最初は庭で、次に装甲車に連れて行って、尋問が行われた。頭に袋をかぶせ、「なぜこの写真を撮った」などと責めた。父をひざまずかせ、頭にピストルを突き付け、「2分間たっても本当のことを言わないと殺すぞ」と脅かした。午後7時ごろようやく、父と夫は解放された。

ロシア兵たちはその後も時々自宅に来て、車の工具、カミソリなど必要なものは何でも持って行ったが、尋問はこの時だけだった。ロシア兵は、「ゼレンスキーは国を見捨てた。キーウはすぐに陥落する」と言い回り、住民を懐柔しようとしていた。

民間人をキーウに避難させるための「人道回廊」が設置されると知り、バルトシュさんは3月10日午前9時、荷物をまとめ、夫、娘、夫の両親の5人で脱出を試みた。

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