屋外の写真撮影は断られたが、建物内の寝室などは撮影することができた。ジョージアの国旗が掲げられ、寝袋などが雑然と散らばっていた。
敷地内に本格的な訓練施設は見当たらず、このキャンプは前線から休暇で帰ってくる兵士たちの休息の場のようだった。全体の7~8割の兵士が前線で活動し、残りがキャンプにいるという。
中庭の東屋で、軍団の1つの部隊を率いているという、顎ひげを蓄えたワノ軍曹(39歳)にインタビューした。
ワノ氏はジョージア軍の兵士として、2008年のジョージア紛争(南オセチア紛争)に従軍した。2010年に退役し、ウクライナに来て商売をしていた。ウクライナ戦争が始まったので、再び銃を取ることにした。
ワノ氏と助手のオトゥキダッチ氏との会話は、皮肉なことにロシア語だった。旧ソ連圏の共通語としてのロシア語の役割はまだ残っている。
「ウクライナはジョージア紛争で助けてくれたから」
ワノ氏にまず軍団の規模について聞くと、「ロシア軍と戦うのに十分な兵力」と笑ってはぐらかされたが、ウクライナ軍の指揮下でウクライナ軍特殊部隊と連携し、前線で小さいグループに分かれ、主に破壊活動、諜報活動に従事している、という。
これまで、侵略当初にキーウ北西ホストメリにあるアントノフ国際空港をめぐる防衛戦に加わったほか、ハルキウ、ザポリジア、ヘルソンなど多くの戦闘に参加してきた。取材後に開始された反転攻勢でも、今までの活動を継続するという。
ワノ氏は、「ロシアはジョージア、ウクライナ共通の敵。ここで戦うことはジョージアを守ること。ウクライナはジョージア紛争でジョージアを助けてくれたから、今回ウクライナを助けることは義務と考えている。これはグローバル戦争だ。ロシアは自由を選んだ近隣諸国を破壊しようとしている。奴隷として生きるよりも、生命を犠牲にしてでも自由のもとに生きたほうがよい」と淡々と話した。
筆者は2015年6月、今の前線に近い東部ドネツク州クラマトルスクにあったウクライナ義勇軍のキャンプを取材したことがある。この義勇軍はウクライナ民族主義団体が母体で、キャンプにはそうした団体の旗も掲げられていた。
今回のウクライナ戦争で、南部マリウポリのアゾフスタリ製鉄所で抗戦を続け、国際的に知られるようになった「アゾフ連隊」も、こうした義勇軍の一つだ。アゾフ連隊にも多くの外国人義勇兵が参加したと見られている。
義勇軍は士気も高く、ウクライナ政府は正規軍の指揮系統に取り込むなど戦力化を進めてきた。今回のロシアの侵略に際しても、ウクライナ政府は公式に義勇軍への参加を世界に呼び掛け、外国人軍団には諸外国から数万人が応募したという。
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