「天空の市民公園プロジェクトで、駅前ビルのオーナーから契約破棄の通知が来たじゃないですか。その時に引間さん、『私の不手際かもしれないので、謝罪してきます』って、デスクから猛然と走り出したんですよ。ただ、めちゃくちゃ遅くて。顔は必死なのに歩いてるようにしか見えないから、役所内のみんなに笑われてました」
「しょうがないだろ。足が遅いんだから」
当時を思い出し、うなだれた。
「俺、こっそり跡をつけたんですけど、息切らしてるのにずっと走ってて。どれだけ遅くても、走るのやめないんすよ。その姿が、なんかかっこよかったんですよねー。引間さん、仕事でも絶えず奔走してましたから。だから俺の座右の銘は、笑われても、歩いてでも、走れ、です」
私は俯いたまま、「そうか」とだけ返す。
「そうだ、これ見てくださいよ」
村下は鞄から一枚のチラシを取り出した。
「来年の春に、駅前のロータリー広場を使ってお祭りをやるんです。目玉企画はなんと、屋上プラネタリウム。一日限りなんですけど、一応、駅前ビルの許可も取ったんで」
「目玉は応援団コンテストにしろよ」と板垣が口を挟む。
「需要がないだろうよ。せめてお笑いコンテストとかじゃないと」
「引間さん、それ、いいっすねー」
村下は笑いながら携帯にメモを取り始めた。
あらためてチラシを眺める。「村下が企画したのか?」
「そうです。引間さんの弔い合戦です」
「勝手に殺さないでくれ」
「今じゃ、『粘りの村下』って言われてますよ。あっ、裏がプラネタリウムの詳細です」
チラシを裏返し、息を止めた。
『夜空は、誰にでも平等に広がっている──』
12年前には使われることのなかった、あのキャッチコピーだった。
「ようやく、我が子に誇れる仕事ができそうです」
村下の言葉に導かれ、目の前に夜空が広がった。映し出された星たちが、プラネタリウムのようにゆっくりと一周し、始まりの位置に戻っていく。
私は天を仰いだ。
「巣立、年末調整、ぎりぎり間に合ったみたいだ」
もしかして、天国で神様の事務手続きを手伝ってくれたのか?
次の瞬間、勝手に足が動いていた。
「努力は無駄ではなかった」
「引間さん?」という村下の声を背中で受け流し、ミラクルホークスのベンチへ一目散に駆け出した。
周くんの前に立つ。
他の選手が驚きで固まっている中、彼はきょとんとした顔でこちらを見上げた。あの夏のスタンドのような七月の光が、燦々と頭上に降り注ぐ。
吸った息を、ゆっくりと確かめるように言葉へ変えた。
「私たちの人生は、努力しても、うまくいかないことばかりです。何かに挑戦するたび、自分に失望して、がんばったことを後悔するでしょう」
プロジェクトに奔走した日々が、走馬灯のように巡る。
望んだ結果には、繋がらなかった。
ただあの苦しかった日々が、村下の情熱に火を灯し、周くんに受け継がれ、その姿を見て、私はもう一度、走り出すことができた。
12年前の努力が、一周して今の私に繋がり、背中を押してくれた。
「でも、努力は無駄ではなかった」
周くんが、私をじっと見つめ返した。
「今までの君のがんばりが、いつか必ず、その背中を押してくれるはずです」
私は背筋を伸ばし、「努力は無駄だと言ったこと、謝罪させてください。すみませんでした」と深々と頭を下げた。
すると、周くんの「うっ」という声が頭頂部に降ってきた。同時に、後方から興奮した宮瀬の声が飛んでくる。
「シャイニングしてる!」
意味がわからず、顔を上げた。周くんは眩しそうな顔で立ち上がり、「引間さんの頭に太陽が当たって、キラキラ光ったというか……」と告げる。私が頭を下げたことで、毛のない頭皮に太陽光が反射し、彼の顔面に直撃したらしい。
「すげえぞ。シャイニングエール改め──謝罪ニングエールだ」
板垣が恍惚の表情で、ダジャレを口にする。宮瀬も「こんな風に相手を輝かせることができるなんて」と満面の笑みを寄越す。
そのやり取りを聞いていた周くんから、ふふっと声が漏れた。「おかげで、元気が出てきました」と吹っ切れたように笑う彼の目には、満天の輝きが戻っていた。
「この頭が役に立ったのなら……」
私は薄くなった頭をかいた。
その時、ベンチから一人の選手が立ち上がった。
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