70歳3人に応援された野球少年「土壇場」の奇跡 小説『おかげで、死ぬのが楽しみになった』第1話(8)

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判定は、アウト。

自分たちが絞り出した声援よりも遥かに大きな親たちのため息に、呑み込まれていく。

巣立、やっぱり努力は裏切るじゃないか。

1点リードされたまま、とうとう6回裏を迎えた。小学生は6イニング制だから、これが最後の攻撃となる。

私は席から身を乗り出して、ベンチの様子を窺った。周くんの横顔が見える。彼は、試合の様子を他人事のように、ぼうっと眺めていた。あのバッターボックスに立ち、ボールを打ち返すために今日まで走り続けてきた。その夢が、潰えようとしている。

彼の目から輝きが失われていく。その瞳に、いつかの自分が重なった。

その時、聞き覚えのある声がした。

「引間さん……っすよね」

横の通路に立つ男性に、じっと目を凝らす。

「村下か?」

10年ぶりに会う犬顔の部下だった。

「なんでここに」

「それはこっちの台詞っすよ」村下はあの頃と変わらない口調で言った。「息子の試合を観に来たんですけど、最近残業続きで、つい寝坊しちゃって」

「一塁側ってことは、ミラクルホークスなのか?」

村下は決まりの悪そうな笑みを浮かべた。

「俺に似て野球は好きなんですが、これまた俺に似て、野球が下手なんです。ただ今日は初めて背番号をもらえたみたいで」

そう言って、ベンチの端を指さした。

「えっ? 周くんか」

「かっちょいいっすね」

「なんでうちの息子を知ってるんですか」

村下が目を丸くする。

「でも、苗字が……」

「5年前に離婚したんですよ。榎木は妻の旧姓でして」

「そうだったのか……」

「なに、責任感じてる、みたいな顔してんすか。俺の人生に、そこまで引間さんの影響力ないですから」

久しぶりに聞いた村下の軽口に、眉間の皺がほどけていく。

「っていうか、引間さんは何してるんすか」

「いや……」

私が逡巡していると、板垣が、おほん、と咳払いをして名乗りを上げた。

「俺らは、全ホモ・サピエンスにエールを送る応援団。その名も──シャイニング!」

応援団に対する、少年たちの冷めた反応が頭をよぎる。

しかし村下は「かっちょいいっすね」と興奮気味に言った。

「周のチームを応援しに来てくれたんすか」

「おうよ。っていうか、おまえが熱いオヤジか」

「熱いかどうかはわからないっすけど、熱い人に憧れてはいます」

村下がはにかみ、こちらに視線を寄越す。

「うちのブルーのこと、よくわかってるじゃねえか」

なぜか板垣が握手を求め出す。

「ブルーって、いいっすね」と板垣の手を握り返す村下に、私は「ほめ言葉らしいからな」と皮肉を返す。

「そういや」板垣が村下を見上げる。「周、オヤジとの約束を守ってるぞ。笑われても、歩いてでも、走れ」

「あいつまだそんなこと言ってるんですか」

村下が照れたように頭をかいた。そして、何かに気づく。

「それ、もとは引間さんのことですからね」

「なんだって?」

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