70歳同級生3人が少年野球の応援団になった日 小説『おかげで、死ぬのが楽しみになった』第1話(7)

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「ああ、巣立湯さんの」

輪の中心にいた男性が答える。

「どこで応援したらいいですか?」

希さんが尋ねると、彼は「あそこでお願いします」と最前列の角を指した。プレーする選手に最も近い特等席だ。

「VIP待遇じゃねえか」

板垣が興奮気味に眉を上下させる。

「これ、よかったら。皆さんのために用意したんで」

彼は感じのいい笑みを浮かべ、手にしていたものを差し出した。

拡声器だった。

冷たい汗が脇の下をつたっていく。拡声器でもないと声が届かない、そう思われたのだろう。

「いや、大丈夫だ」

板垣が血の気の引いた顔で答える。男性は好意が突き返されるとは思わなかったようで、途端に不機嫌な表情になった。「ではご自由に」と言ったきり、もうこちらを向こうともしない。

指示された最前列に移動し、荷物を置く。

「親切マフィアめ」板垣が仏頂面で観覧席を見上げた。「優しい面して銃を突きつけてきやがる。親切をありがたく受け取れとな」

彼らにしたら、純粋な気遣いなのだろう。でもだからこそ、私たちはその善意を受け入れられずにいる。

「俺をみくびったことを後悔させてやる」

板垣が真っ赤な顔で杖を握る。

「僕らが声を出せば、一瞬でみんなを巻き込めるさ」

宮瀬が白い歯を見せる。

「そのために毎日がんばってきたんだもんな」

私は青ざめた指先でポロシャツの襟を立てる。真夏のグラウンドのもわっとした空気が、肌をかすめた。

肩を組み、円陣を作る。

「ラブ」

板垣の掛け声を合図に、全員で巣立の迷言の後を継ぐ。

「ニヤニヤ」

お手並み拝見とばかりに、太陽がギラついた光を放っていた。

「応援団失格だね」

初回。相手チームを三者凡退に仕留め、いよいよミラクルホークスの攻撃が始まる。先頭に立った板垣が、ここぞとばかりに声を上げた。

「勝利の三三七拍子!」

杖に全体重を預け、浮かせた右脚を地面に振り下ろす。弾ける足音を口火に、私は両手を広げた。

「勝つぞ、勝つぞ、ミ、ラ、ク、ル、ホー、ク、ス」

一心不乱に拍手を打つ。たちまち大量の汗が噴き出した。ポロシャツはべったりと濡れ、まとわりつく暑さを振り払おうと、また両手を叩きつける。

「打つぞ、打つぞ、ミ、ラ、ク、ル、ホー、ク、ス」

選手がバットを構えるたび、高校時代に戻ったかのように、声を張った。

しかし容赦ない日差しが、体力を蒸発させていく。サウナの中にいるみたいで、うまく呼吸ができない。

依然としてミラクルホークスの攻撃が続く。けれど腕は鉛と化し、脚の痙攣も止まらない。朦朧とする中、顔を上げ、スコアボードに意識を向けた。

──まだ1アウト。

思わずため息が漏れる。

横を見やると、宮瀬の顔は皺くちゃに崩れ落ち、板垣の背中もしぼんでいる。まるで玉手箱を開けてしまったかのように、皆が一気に老け込んで見えた。

次のバッターが初球を打ち上げる。「勝つぞ」と叫びながらも、打球が敵のグラブに収まるのを願う自分がいた。

「味方が打ち取られて『助かったー』と思っちゃうなんて、応援団失格だね」

悔しがるバッターから顔を逸らし、宮瀬がへたり込んだ。

空のペットボトルを見つめ、私は頷く。

「追加の水、買ってきますね」と希さんが駆け出す。

礼を言う声すら届かなかった。

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