映画「怪物」観た後に"語り合いたくなる"その理由 エンタメ風でありながら社会派である作品の妙

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(以下、作品の根幹に関わる内容が含まれます)

ただし、著名な賞を獲ったことで話題性は高いが、大衆にはちょっとだけハードルが高い。どことなく知的エリートによる上等な作品感が漂う中で、テレビドラマのポップスターともいえる坂元裕二が参加したことが、親しみやすさを増した。つまり引きの1つは坂元裕二である。彼が非知的エリートという意味ではない。坂元裕二の世界が好きという層にリーチしたうえ、カンヌで脚本賞を受賞したことで、注目度はぐっと上がった。

2つめの引きは、「怪物」は誰か? 問題。タイトルになっている『怪物』にミステリアスな引きがあり、「怪物」ってなんだろう? と考察エンタメが好きな人も興味を持つ磁力がある。予告編でも少年の「怪物だーれだ?」というセリフが耳に残って離れず、見終わった後に、「『怪物』とは〜〜〜だ」とそれぞれの感想や意見を語ることができる。

3つめは、ラストの解釈問題。大人たちにわかってもらえない悩みを抱えた少年たちが嵐の中、家を飛び出して行方不明に。彼らの行く末に関する解釈が分かれ、これもまた、それぞれの感想や意見を語ることができる。

4つめは、その題材で賞を獲った、LGBTQに関すること。小学生の少年たちが、主として性に対して自身のアイデンティティに迷っていることが描かれている。だがこれは前3点のようにエンタメとして消費できないことであり、議論を交わすにしても、繊細なこととして真摯に行われる必要がある。

そのためこの内容は公開前、徹底して伏せられた。それがまた、LGBTQに関することを「ネタバレ」という見方をしていいのか、映画を紹介するうえでこの点をしっかり紹介すべきなのではないかというような議論を呼び起こしているのだが。

観た人に解釈を委ねていない

『怪物』が稀有な点は、「怪物」問題、ラスト解釈問題のようなエンタメ的な議論と、社会問題の議論の両方がなされていることである。考えれば、この映画はきっと後者を大事にしていて、より多くの人に届けるためにエンタメ性も加味したのだろうと推察できる。いや、もちろん「怪物」の定義やラストの解釈だって突き詰めて深い議論を交わすことが可能である。

これらに関して、作り手はどう考えているのだろうか。自分の中で考えることなく正解をすぐに求めることはよろしくないと思いながら、ついつい答えを求めてSNSをさまよう。と、カンヌ凱旋記者会見の様子を取材に参加した媒体が動画であげていた。そこで作り手が、「怪物」という概念について説明していた。「LGBTQ」についても監督の考えが述べられている。

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