映画「怪物」観た後に"語り合いたくなる"その理由 エンタメ風でありながら社会派である作品の妙

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また、ラストシーンの解釈問題は、某大学の特別授業で明かされている。作り手が観た人に解釈を委ねていないことに、『怪物』が解釈を自由にすることで話題になればいいという作品ではないのだという作り手の問題意識を感じることができる。エンタメ風の作りをしながら、テーマを消費して終わりにしようとは決して思っていないのだろう。

では、「怪物」とは何なのか

「LGBTQ」の問題を一般論に置き換えて考えることに異論があることをわかったうえで思ったのは、『怪物』とは、世間的に当たり前と思われていることに自身が折り合いをつけることができない、他者に自分のことを理解してもらえずしんどい想いを抱えている少数派の人たちの物語なのだということである。

例えば、坂元裕二自身が、テレビドラマの世界で圧倒的に評価されながら視聴率はとれないという矛盾の中に存在していること。視聴率の問題と作品の質の問題を痛快に解決できる方法がないけれど、この世には、高い質を誇り、一部の人に熱狂的に愛される作品があるのだという事実。

それもまた、『怪物』の世界で懸命に生きている人たちの姿と重ならないだろうか。そして、現実世界に生きる1人ひとりにそういうことがあるのではないか。

『怪物』で永山瑛太が演じる保利先生の、他者からの印象もなんともお気の毒だと感じる。

「怪物」が誰か? であることよりも、何かを「怪物」という異物にして折り合いをつけるのではなく、誰も「怪物」にしないことなのではないか。というのは、少年たちが秘密基地のような廃列車の中で遊んでいる姿や、転がるように野を駆けていく姿は、ただただ幸福感に満ちていて、それだけで十分と思えてしまうから。大切なのは、誰もがこの幸福感を得られる世の中を作ることだ。

余談ではあるが、YouTubeで公開されている是枝と坂元の会見の動画で、カンヌのセレモニーでレッドカーペッドを歩く際、かかった音楽が北野武監督映画『菊次郎の夏』の曲であったのはなぜか? と果敢に質問した記者に、是枝監督が「(自分を北野監督と間違えて)『TAKESHI』と声をかける人もいた」というような話をしていた。

海外で日本映画がどれだけ正しく理解されているのか、気になりながら、このように誰もが他者を適切に理解することがいかに難しく、だからこそ『怪物』のような作品は誰かの救いになるのだろう。語り合うことのできる映画が生まれたことを祝福したい。

木俣 冬 コラムニスト

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きまた ふゆ / Fuyu Kimata

東京都生まれ。ドラマ、映画、演劇などエンタメ作品に関するルポルタージュ、インタビュー、レビューなどを執筆。ノベライズも手がける。

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