映画「怪物」観た後に"語り合いたくなる"その理由 エンタメ風でありながら社会派である作品の妙

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怪物
カンヌ国際映画祭でフォトコールに応じるキャストとスタッフ。左から、永山瑛太、安藤サクラ、是枝裕和監督、黒川想矢、柊木陽太、坂元裕二(写真:AFP=時事)

第76回カンヌ国際映画祭で最優秀脚本賞と、日本ではじめてクィア・パルム賞(LGBTQを扱った映画に与えられる賞)を獲って注目されている映画『怪物』。観ないと話題に乗り遅れそうな気がする、非常にそそられる映画である。

一面的な自分視点で見ていると気付けない、取りこぼしてしまいかねない他者の事情や想いに、いかに気づくことができるか――。困難な課題を、湊(黒川想矢)と依里(柊木陽太)、2人の少年のみずみずしい交流を通して描く。

例えば近年の作品でいうと『トップガン マーヴェリック』や『THE FIRST SLAM DUNK』、『劇場版 TOKYO MER〜走る緊急救命室〜』のような徹底した大衆娯楽映画ではなく、観客のリテラシーや自律的思考を要求される作品ながら、『怪物』にはいくつかの引きがあり、多くの人に興味を持たせることに成功している。考えるも考えないも、まずは観ないとはじまらない。引きは主として4つ。それらについて説明する前に、映画の概要を紹介しよう。

「坂元裕二」という“引き”

郊外の町で、ひとり息子・湊と暮らすシングルマザーの麦野早織(安藤サクラ)は、あるとき湊が学校で担任教師に暴力を受けたらしいと心配し、小学校を訪ねる。だが教師たちは認めず、ことを曖昧にする。担任・保利(永山瑛太)は挙動不審で、校長・伏見(田中裕子)は取りつく島がない。教育現場の崩壊かと思いきや――この状況を教師側からの視点で見ると、まるで違う情景や心情が浮かび上がってくる。

悪気ないちょっとした先入観や行き違いが相互理解を阻害する。さらに、湊側から見るとまた違っていて、親にも教師にも見えていない、子どもたちだけの世界が存在していた。湊と同級生・依里が共有するヒミツとは……。

ミステリー仕立ての物語の脚本は、映画『花束みたいな恋をした』や連続ドラマ『カルテット』『大豆田とわ子と三人の元夫』などで人気の坂元裕二、監督は、『万引き家族』でカンヌ国際映画祭最高賞パルム・ドールを受賞して世界的に活躍している是枝裕和。音楽は『ラストエンペラー』などの坂本龍一と、優れた才能が集結した映画である。

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