今の日本人を生きづらくさせている「抑圧」の正体 なぜ人は他人の話を自分ごとにしてしまうのか

人の話を客観的に聞くことはできるのか?
「その人の話」を「その人の話」として聞く。極めて単純でありながら、いざ取り組もうとすると難しく感じる。どうすればそれが可能かと考えて導き出されるのは「客観的に聞く」といったところだろう。冷静に、俯瞰してといった言葉をそこに付け加えることもできる。
では、その客観的な聞き方が実際に行っているのはどういうものかと言えば、「根拠に基づいているか」や「常識に則っているか」を気にしたもので、客観とはまるで関係がない。それでは世間のいう正しさにかなっているかどうかに配慮しているに過ぎない。
たとえばアーティストへのインタビューにおいて、なぜそう思ったのか? なぜそんな行動をしたのか? とインタビュアーが理由を尋ねても、感覚的な話に終始して問いとすれ違うような返事が多い。
それもそのはずで、彼らは直感によって創作しているのだから、「そう思ったし、気づいたらそうなっていた」といった類いの話になる。彼らにとって大事なのは表現であって説明ではない。
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