今の日本人を生きづらくさせている「抑圧」の正体 なぜ人は他人の話を自分ごとにしてしまうのか

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悩む女性
人の話を聞いている時に無意識に相手のことをジャッジしてしまうのはなぜなのか(写真:kou/PIXTA)
「わかりやすく話そう」を重視した結果、私たちの話はただの「情報のやりとり」に陥っていないだろうか? 共感して聞くことを重視した結果、私たちは相手の話に自分を投影しているだけで、ちゃんと相手を理解しようとする姿勢を忘れていないだろうか──。
そんな疑問から、「本当の言葉」を大切にしている人たちに話を聞き、コミュニケーションを考え直す書籍、『聞くこと、話すこと。 人が本当のことを口にするとき』。本稿では同書より、私たちが人の話を聞くとき、無意識にその人や話を「ジャッジ」してしまうことについて考察します。

人の話を客観的に聞くことはできるのか?

「その人の話」を「その人の話」として聞く。極めて単純でありながら、いざ取り組もうとすると難しく感じる。どうすればそれが可能かと考えて導き出されるのは「客観的に聞く」といったところだろう。冷静に、俯瞰してといった言葉をそこに付け加えることもできる。

では、その客観的な聞き方が実際に行っているのはどういうものかと言えば、「根拠に基づいているか」や「常識に則っているか」を気にしたもので、客観とはまるで関係がない。それでは世間のいう正しさにかなっているかどうかに配慮しているに過ぎない。

たとえばアーティストへのインタビューにおいて、なぜそう思ったのか? なぜそんな行動をしたのか? とインタビュアーが理由を尋ねても、感覚的な話に終始して問いとすれ違うような返事が多い。

それもそのはずで、彼らは直感によって創作しているのだから、「そう思ったし、気づいたらそうなっていた」といった類いの話になる。彼らにとって大事なのは表現であって説明ではない。

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