今の日本人を生きづらくさせている「抑圧」の正体 なぜ人は他人の話を自分ごとにしてしまうのか

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私たちの住む島では、協調性があるのは良いこととされ、独自性は自分勝手と言われがちだ。「独自性がある」のはそれ自体ではなんの問題もないはずだが、自分の考えをはっきりと口にするだけでわがままと言われることも多い。では、わがままの判断基準は何かといえば、「みんなと違うから」「みんながそう言うから」に委ねられる。

突き詰めると、みんなとは空気のことだから、それを吸っているうちに身につくものだという期待が一方的にされている。基準はいたって曖昧なままで、そうして個性の尊重や多様性というスローガンだけが連呼されていく様子を私たちは目の当たりにしている。

多くの人が「生きづらい」と口にするのは

もちろん白黒はっきりさせないことの利はある。祖先が長年かけて作り上げてきた習わしには、それなりの恩恵があるはずだし、良いところはある。と同時に害があるのも確かだ。ものをはっきり言わないのは気遣いでありながら、一方で本当のことを決して言わないことでもあるように。

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そう思うと、多くの人が息苦しい、生きづらいと口にするからには、今はこれまで育んできた文化や習慣の負の面が目立つ時代になっていると言っていいのだろう。

私たちのジャッジの基準は、生まれ育った環境、時代、社会の中で選ばざるを得なかったというような、極めて個人的な事情に基づいている。生き延びるためにそれを身につけてきた経緯がある。

事実を事実として、起きたことを起きたままに捉えるのは、簡単であり難しい。容易であるのは、そのままを観るのはなんの努力も勇気もいらないからだ。困難であるのは、そのままを観ることができない理由が、観るわけにはいかない必然性がそれぞれの人生にはあるからだ。

他人の話を聞く前に、自身のジャッジを形成するに至ったストーリーを知り、その顚末を最後まで聞きとり、それを手放さない限り、私たちは相手の話を聞くことができない。本当に人を尊重することはできないのだ。 

尹 雄大 インタビュアー、サッカ

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ゆんうんで

1970年、神戸市生まれ。テレビ制作会社勤務を経てライターになる。主な著書に『つながり過ぎないでいい』『さよなら、男社会』(ともに亜紀書房)、『異聞風土記』(晶文社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)など。身体や言葉の関わりに興味を持っており、その一環としてインタビューセッションを行なっている。

公式サイト:https://nonsavoir.com/

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