もうひとつ期待されるのは、今度こその持続的なレース活動である。ホンダは1964年に初めてF1に参戦して以来、何度も撤退、参戦を繰り返しており、その意味で今回は第5期とも言われる。今回の参戦に関しても「またすぐやめるのでは」という声が早速上がっているのは事実だ。
もしも技術開発のために有効だというのが参戦の唯一の理由だとしたら、得るものがなくなった時にはまた撤退が議論されることになるかもしれない。しかしながら今回は、先に記したコストキャップもあるし、まさにHRCという“レース活動を行うことが仕事”の会社をレース運営の母体とするという布石も打たれていて、これらが持続可能性のための追い風となっている。
「ファンの皆様の応援や盛り上がりがF1活動においてモチベーションとなっていたのも事実です。あらためて感謝するとともに、その気持ちには今まで以上に応えていきます。そのためには、持続的なレース活動ができる仕組みに進化させ、参戦を継続することがより重要だと考えています」
何度もやったりやめたり……という言葉は当然、三部社長はじめホンダの誰もが耳にしていたはず。安易にそうしたカードを切ってしまうことは、レッドブルとのせっかくの強固な関係を結局は手放してしまったように、マイナスの効果も大きいということを今の経営陣やHRCは身にしみて感じているはずだ。今度こそそうならないよう、まずは仕組みを作った。この言葉が示しているのは、そういうことだ。
レースに挑む本当の意味
技術開発のみならず、F1という資産をもっともっと活用していくことも考慮されるべきだろう。レッドブルとのF1参戦は、市販車のマーケティングにはほとんど何も活かされなかった。仮にこの領域での効果が絶大であれば、技術的うんぬんを二の次にしても、持続的な参戦が可能になる。
あるいは、今回の提携はF1についてのみでほかの議論はしていないというが、将来的にはアストン・マーティンのスポーツカーにホンダのパワーユニットが載ってもいいかもしれないし、共同開発の市販車が出てもいい。ファンづくり、自動車文化への貢献もまた持続可能性につながっていく。
ここまでホンダF1復帰の意味するところや、それを可能にした環境、そして実は周到に行われてきた地ならしといった話をしてきた。しかし一方で、世界で戦うレースに出ることが、そうしたことの単なる論理的な帰結、計算した結果だというのでは、どうにもつまらない。うれしいのは、今回のF1復帰の理由がそれだけにはとどまらないということである。
「社内の若いエンジニアたちから世界一のレースへ再びチャレンジしたい。新しいF1レギュレーションならば、きっと自分たちの培ってきた技術を正面からぶつけられるという声が多く聞かれるようになりました」
やりたいから、勝ちたいからこそ、何を言われようととにかくやる。今回のF1復帰は最終的には、そうした若いエンジニアたちの、そしてそれに応えた経営陣たちの、あるいはエールを送り続けたファンの熱い思いが実現させたものだと言えるのではないだろうか。
いや、レースとは本来、そういうものであるべきだ。2026年からの再参戦には、今までの紆余曲折は、すべてこのためにあったんだというくらいの圧倒的な熱量の、「なるほどこれがホンダのF1か」という戦いを期待したい。
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