1つは、子どもたちに費やすお金を、今を生きる親世代や祖父母世代全体で身銭を切って出す愛情も勇気もないのだろうか。親が将来にツケを回さずに出してこそ、子どもたちへ注ぐ無償の愛情ではなかろうか。もちろん、個々の世帯では経済的に対応できない世帯もあるから、社会全体で世代を超えて子どもたちに注ぐ財源の負担を分かち合うのである。
もう1つの問題は、子どもたちへの「投資」のために借りたお金を、子どもたちが大人になったときに「回収」するといっても、親世代が一切負担しないなら、それは結局「ねずみ講」そのものである。
子孫が増えないと成り立たない「ねずみ講」
投資の回収といえば聞こえはよいが、親世代が一切負担せず借りたお金で教育や子育てに投資するなら、そこに自分のお金を使わなくてよくなった分、親世代は子育て以外のところで生活水準を高められる。それでいて、子世代は大人になってからその借金の返済負担を求められる。
子世代は、その返済負担の分だけ生活水準を切り下げなければならない。もし親世代が自分のお金で教育や子育てに投資してくれれば、子世代は生活水準を切り下げずに済んだのだ。
子世代が返済負担で生活水準を切り下げたくなければ、その返済負担を孫世代に回すことになろう。このように、子孫で繰り返してゆけば、それは「ねずみ講」そのものである。
しかも、少子化が止まらなければ、これが破綻することは目に見えている。「ねずみ講」は、ネズミのように子孫が増えないと成り立たないのだから。
教育や子育てに投資するといえども、親世代が一切負担せずに借金(国債)でその原資を賄い、子世代に返済負担を負わせては、単なる「親のわがまま」にすぎない。こんな姿勢では、少子化問題は解決できない。
では、子ども予算の財源として何が考えられるか。目下、政府部内で有力視されているのが、医療保険料への上乗せである。
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