大学教授が「学校に行かなくてもいい」という理由 不登校の子に必要なのは「サード・プレイス」

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「自分の弱さや未熟や無力さを受け入れて、ちゃんと助けを求められること」こそが自立だと僕は言っている。

「◯◯さん、オレ・ワタシ、ちょっとダメだ。ここじゃ息ができないわ。ちょっと階段登るのも疲れたから、踊り場みたいな所ないっすか?」って、助けを求めることができたら、もうそれだけでエラい。それを言えずに、「どうせダメっすから。ま、自己責任なんで」と暗い目をしているより、光が差し込んでくると思う。

ちなみに、僕はこのサード・プレイスのことを「はらっぱ」と呼んでいる。

最近は「はらっぱ」と言われても「?」というティーンズがいるが、要するに「お前がこの世でどれくらい仕事(勉強)ができるのか、どのくらい金持ってるのか、ちゃんと家族つくって幸せに暮らしてるのか?」みたいなことをまったく問われることなく、とにかくぶらっとやってきて、ぐだぁーっとたむろすることができて、起承転結も何もない雑談して、でも「ま、話したらちょっとスッキリしたな」とか、「自分の話なんて誰も聞いてくれないと思っていたけど、そうでもないんだな」なんて思ったり、「人と話すと、最近の自分はものすごくイビツな思い込みに追っかけられてたんだな」なんて気づいたりする。

そういうことが起こるスペースのことだ。

立派な人間になんてなる必要がない

話のすじを取り戻すために言うと、政治という決め事、この世の運営の仕方の中には、こういう「頑張らなくていいところをつくる」といった活動だって含まれている。学校なんて命をかけて行くところじゃないということの先にあるのは、ホッとできる、楽しい、呼吸のできる居場所だ。

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しかし、それがこの世の中にあまり用意されていない、あまり残っていない、みんながその大切さを忘れているなら、思い出そうと呼びかけて、話して、書いて、励まして、そういう気持ちで生きている人たちのスペースをつくろうと説得するのも政治だ。

学校から出ても、家でなくても、そういう場所をつくるという政治はできる。それは疲れちまった大人にも必要な場所だ。君たちが40人の教室でモヤモヤしていること、できないこと、できることは、サイズや種類を変えれば、そのまま大人の世界の話と同じなのだ。

辛くなったら、立派な人間になんてなる必要がないのだから、弱くて小さくて自己チューな友だちと、はらっぱでひと息つこうぜと言って、受け入れてもらおう。

岡田 憲治 政治学者/専修大学法学部教授

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おかだ けんじ / Kenji Okada

政治学者、専修大学法学部教授。1962年東京生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了(政治学博士)。専攻は現代デモクラシー論。本業・副業・地域支援・NPO運営・家事・育児の最中、とてつもないことが淡々と毎日起こっている21世紀を「一身にして二生を経る」心持ちで生きのびる。愛称オカケン。広島カープをこよなく愛する2児の父。著書に『教室を生きのびる政治学』(晶文社)、『政治学者、PTA会長になる』(毎日新聞出版)、『なぜリベラルは敗け続けるのか』(集英社インターナショナル)、『言葉が足りないとサルになる』(亜紀書房)、共著に『転換期を生きるきみたちへ』(内田樹編、晶文社)など多数。

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