LIFULL時代との違いに驚くばかりで正直大変な毎日でした。例えば、何か調べたいことがある際、LIFULLだったらデータ化されているんです。でも、雲南での仕事はそのデータを集めることから始める必要があるし、それどころか電話線を引くことから始める必要があって。
『会社って、実はすごいいろんなことが仕組み化されているし、資金も人材も潤沢だったんだな』と思うと同時に、『LIFULLの時に当たり前にやれていたことが、こんなにもできないんだ』と気づきました。ショックでした」
大きな会社を離れたことで、いかに普段の業務が仕組み化されていたかを理解した。教育事業はロングテールであり、企業では当たり前の目標設定が難しかったり、成果が出るのに時間がかかることを痛感した。
「LIFULLの時は営業成績がKPIだったので、頑張った分だけわかりやすく成果が出ていました。しかし、教育事業ではそもそもKPI設定が難しい。教育事業なので成果が出るまでには長い期間で物事を考える必要があるんです。早々に成果に繋がるわけではなく、何十年してようやく効果がわかる場合もあります。すべてにおいて今までと異なる環境でした」
「戻って一緒に仕事をしてくれないか?」
「なんとなくですけど、5年くらいを目安に頑張ろうと思っていたんです。26歳で転職したので少なくとも30歳ぐらいまでは続ける。それを目標に頑張ろうと思っていました」
そんなことを考えながら島根で教育事業に取り組んでいたが、ある日、LIFULLの同期から「戻って一緒に仕事をしてくれないか?」と、鈴木さんに声がかかった。
「島根に行った後もLIFULLの人たちとは交流が続いていたんです。同期が雲南市まで遊びに来てくれたりしましたし、僕からも『先輩! いつ遊びに来てくれるんですか?(笑)』って誘ったりもしていました。会社が嫌で退職したわけではないので、そういった関係性が続いていたんですよね。
島根県を訪れたことがない人も多かったので、誘えば『良い機会だし、お前がいるなら行ってみよう!』って来てくれていました。キャンプをしたり、海に行ったり、ゴルフをしたり。のべ30人くらいは遊びに来てくれたと思います。そんな日々を過ごすなかで、同期から『最近、こんなサービスを作っていてさ』って相談されたんです」
このサービスが、冒頭で紹介した、多拠点で生活する人を支援するコミュニティ型コリビングサービス「LivingAnywhere Commons」だ。
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