仕事を「人生そのもの」と勘違いすると起こる悲劇 仕事と日常を同一視すると起こること

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すでに書いたように、仕事の世界にもゲームの世界と似た面があるからです。「あるルールのもとで、他者より多くポイントを稼ぎ、地位の向上を目指す」と書けば、ゲームと仕事の見分けはもはやつきません。ある種の中毒性や催眠性は、どの世界にもあるのです。そう考えると、仕事と日常を同一視することの弊害も見えてくるのではないでしょうか。

仕事とはそれほど大げさなものではない

仕事はとても優秀だけれど人望がない、という人が職場を問わずしばしば見られます。そのような人は、仕事という枠内が世界のすべてだと勘違いしているだけかもしれません。しかし何度も繰り返しているように、仕事の枠の外には、日常や人生の枠が存在します。会社の社長であろうとも病院長であろうとも、枠の外側から見れば関係なく、1人ひとりが対等です。

そう考えると、仕事とはそれほど大げさなものではないと思えてこないでしょうか。ほどよい距離感と客観的な立ち位置を保つ心構えさえあれば、たいてい乗り越えていける程度のものです。

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仕事と自分とを完全に同一視する必要はありませんし、感情と自分とを完全に同一視する必要もありません。最初に「門」の話をしたことを思い出してください。家から玄関をくぐって外に出て、門をくぐって会社というゲームの場に入ります。時間が経つと、その門をくぐって外に出て、玄関をくぐって家の中に戻っています。

冒頭で述べたように、もしあなたが天才的なビジネスの才覚を持つ人であるなら、仕事を人生そのものと考えて生きるのでよいでしょう。しかしほとんどの人にとって、仕事は単なるゲームであり、人生の本質はそれ以外に存在する、といった考えを採用するほうが生きやすくなるはずです。

自分のいる場所は、門の内側なのか外側なのか、しっかり認識してほしいと思います。それが明確ではないと、あなたはルールに塗り潰されてしまい、あなたがあなた自身でなくなってしまうのですから。

稲葉 俊郎 医師、軽井沢病院長

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いなば としろう / Toshiro Inaba

1979年熊本生まれ。熊本高校卒業。医療の多様性と調和への土壌づくりのため、西洋医学だけでなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修める。2011年東日本大震災をきっかけに、医療の本質や予防学を広く伝えるべく個人での活動を始める。古来の日本は心と体の知恵が芸術・芸能・美・「道」へと高められ心身の調和が予防医療の役割を果たしていた、という仮説持ち、自らも能楽の稽古に励む。著書に『いのちを呼びさますもの ひとのこころとからだ』、共著に『見えないものに、耳をすます 音楽と医療の対話』

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