仕事を「人生そのもの」と勘違いすると起こる悲劇 仕事と日常を同一視すると起こること

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それは、遊びとして手を抜くという意味ではありません。むしろ仕事というゲームにおいて、どういう役割のプレイヤーがいるのか、自分自身はどういう役割を求められているのか、認識することにつながります。

加えて、仕事の中にある秘められたルールも見えてくるでしょう。それは明文化されていないため、気づかないまま働いている人も多くいます。例えば、次のようなものです。建設的な意見を言っても採用されず、一部の管理者の判断だけが優先される、経験の少ないものは会議ではあまり自由に発言してはいけない、休みを取ると仕事に不熱心な人間だと思われるため既定の休みも取れない……など。

明文化されているかどうかに関わらずルールを認識することと、日常と非日常の境界線を確認することの重要性は、単に観念上の話であったり、大人の世界の話であったりするだけではありません。それは人間に本来的に備わっている性質なのです。そのことを実感したのが、病院の診察室でした。

場を区画することは、人間に備わった本性の1つ

かつて、発達障害とされるお子さんを診察室で見たことがあります。その子は診察室内の周囲の壁をタッチしてからでないと椅子に座らないのです。なぜなのだろうと、その意味を考えていましたが、ここには「場を区画し、それぞれに固有の役割を見出す」ということが人間の本性であることが読み取れないでしょうか。健常者の子どもや私たち大人は、それを目に見える形で行動に移さない、というだけのことではないかと思ったのです。

ゲームやスマートフォンに夢中になっている子どもを、大人がしばしばいさめます。早く電源を切りなさい、いつまでも画面を見ていると現実に悪影響を及ぼすから、と。しかしながら、このような混同は、大人の側も陥っていることが多いと私は思います。

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