仕事を「人生そのもの」と勘違いすると起こる悲劇 仕事と日常を同一視すると起こること
そう考えるにあたって、「門をくぐる」イメージを思い浮かべてみてください。そして、門をくぐった瞬間から、「日常とは違う世界が待ち受けている」と考えることが大事です。
家の中で過ごす日常とは違い、職場や仕事には常に「ルール」があります。例えば定時に行われる朝礼や集合の点呼、「お疲れさまです」から始まる社内メール、打ち合わせ資料のフォーマット、何も結論が出ない会議……あらゆる場に空気のように存在している、「ルール」。そして、ルールに応じて競争し、高い報酬を目指して頑張っているのが、私たちです。このように考えると、なんだか仕事がゲームのように思えてこないでしょうか?
仕事を「ゲーム」と考えてみたら
仕事をゲームと考えると、自分という存在を客観視する視点が生まれます。しかしなぜ、客観視の視点が必要なのでしょう。それは、仕事があなたの生活や人生のすべてと勘違いしないためです。
仕事はあくまで、限定的な場の枠組みに過ぎないと理解すること。そこで初めて、仕事に対して集中しながらも、日常と同一視しない、適切な距離をとることができます。そのことを忘れてしまったら、何が起きるでしょうか。
例えば、スポーツを想像してみてください。スポーツにはルール=枠組みがあります。サッカーで手を使うと反則になりますが、これは、ゲームを円滑に進めていくための決まりごとに過ぎません。それに、ルールが有効なのは試合中だけです。もし、試合が終わっても手を使わず、足だけでボールを片付けている選手がいたら、奇妙な感じがしないでしょうか。
仕事も同じようなものです。枠組みやルールの内側が、すでに非日常の世界なのです。「今から人工的なルールを持った世界へと入っていく。いずれその世界から出て日常へ戻る」とイメージするのが大事なのは、そのことを忘れないためです。場の内側と外側の違いや変化を意識できれば、スポーツやゲームのように仕事を楽しむことができるでしょう。
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