40代バイト生活の彼が抱く「普通の人生」への嫉妬 他人との比較ではなく自分の幸せを掴むべきだ

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幸せを感じるためには、そのための感度を持っていることが重要です。そしてそのような感度を磨くためには、自分オリジナルの人生論や信条、志を有する、つまりは自分なりの幸せの形が見えていることが大切なのです。

他人の人生の中に自分の幸せを探ろうとしているようではいけません。
本連載においても何度も申し上げておりますが、人生やキャリアにおいて誰にでも当てはまる正解や、あるべき姿なんてものは存在しないのです。

人生は学校の教室における勉強ではありませんから、誰かが正解を教えてくれるものではありませんし、そもそもそんな正解は存在しません。

これをやれば安心とか、これをやるのが正解だとか、それが幸せの形だ、とか、そのような王道やマニュアルが存在しないのが人生です。

むしろ何が起きるのかがわからない不透明感とうまく付き合い、乗り越えることで成長していくのが人生というものです。

誰もが不確実性と非連続性のなかで生きているのであり、その状況も個々人によって異なります。

これは何もHYさんだから、というわけではなく、誰にとっても当てはまることです。

「普通の生活」とは何か

そして、HYさんが考える「普通の生活」。これをなぜ普通と認識しているのでしょうか。

おそらくHYさんは「誰にとっても実現可能な」「身近な存在としての」生活を、普通だと考えているのだと思います。

かつて一億総中流時代とか言われていた時代において、多数がそのような生き方をしていた、またはできていた、というところから、それが普通という考え方になってしまっているのかもしれません。

親の世代はそうだった、だから自分たちにも当てはまるハズだ、という話なのかもしれません。

その一方で、その時代においてもその普通とは異なる生き方や考え方をしていた、またはせざるをえなかった人たちがいるのも事実でしょう。

ようは多くのヒトにとってその時代はよくあった話が、いわゆる普通の生活として認識されてしまっているということにすぎないのだと思います。

その時代においても、決して多くの人の“よくある話”が正解というわけでもなく、誰にとっても手の届く生き方だったわけではないのだと思います。

ましてや現在においては、社会構造の変化などに伴い、働き方も考え方も生き方も非常に多様化してきています。誰にでも当てはまる生き方や考え方なんてものは、ほぼ存在しないと考えたほうがよいのです。

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