「子どもの声は騒音ではない」法制化を喜べない訳 「公園での遊び声」「道路族」に悩まされる人も
新聞などでは、この結果を「子どもの声は騒音?」と大きな見出しで紹介しましたが、決定文が非公開のためまだ疑問符がついていました。仮に、これが訴訟における判決文の中で書かれた内容であったなら、大変に大きな意味を持つ一文になったことでしょう。
子どもの声は騒音か、騒音でないのか、もし子どもの声は騒音ではないとするなら、条件付きなのか無条件なのか、それを法律で決めることに社会的な意義があるのか、あるいは弊害を生むのか、大変に難しい問題です。仮に、保育園や学校、公園での子どもの声を騒音でないとした場合、例えば、次の問題はどうなるのでしょうか。
Twitterでも話題となった「道路族問題」はどうなる
子どもの遊び声が問題となるのは、公園や保育園ばかりではありません。もっと深刻な問題が「道路族問題」です。
道路族と言えば、昔は、田中角栄に代表されるような道路建設利権に群がる政治家を指していましたが、今はそれが、袋小路の道や交通量の少ない道路で遊ぶ子どもたちやそれを許す親達に変わっています。後者の命名は暴走族からの発想と思いますが、政治家から子どもたちへ、いろんな意味で人間の両極端に位置する存在へと名称が移り変わったことは実に面白いですが、現実は面白がっている状況ではありません。
4月25日にはTwitterで、「自宅前でドッジボールに興じる道路族がいて、駐車の邪魔になったり、家の門柱や塀にボールをぶつけられたりするなど迷惑を被っている」という人のツイートを暴露系インフルエンサーが紹介し、大きな話題を呼びました。
このときフォロワーの意見は割れ、「人の家にボールをぶつけるなんて信じられない」「道路で遊ぶなんて危なすぎる」といった反対意見もあれば、「田舎ではこれくらい普通」「昔はみんな道路で遊んでいた」という擁護や理解を示すコメントもつくなど、賛否両論の反応がありました。
また京都市では、分譲住宅地に入居した家族同士で、事件や損害賠償訴訟にまで発展した道路族トラブルが発生しています。自宅前で大声で遊ぶ子どもたちの騒音に悩まされていた女性が、子どもらの家族に注意をしたところ、逆襲されていやがらせを受けるようになったというものです。
子どもらの親の一人の男性が、苦情者に威嚇行為を繰り返したとして迷惑防止条例違反で略式起訴され、罰金30万円を科せられる結果となりました。
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