「子どもの声は騒音ではない」法制化を喜べない訳 「公園での遊び声」「道路族」に悩まされる人も

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神奈川県横浜市では、自宅前の袋小路の道路を遊び場とする小学生たちに注意をしたところ、親たちからの集団嫌がらせが始まり、それに耐えかねて引っ越しを余儀なくされ、重度のストレス障害も発症したとして、損害賠償や慰謝料を合わせて1100万円を請求する訴訟も起こっています。

しかし判決は、〈我が国では昔から道路が子どもの遊び場や住民の交流の場として利用されてきた経緯があり、袋小路の道路からの騒音が、道路本来の正常な利用の仕方によるものでないとしても、直ちに違法と言えるものではない〉というものでした。

子どもたちの道路遊びは違法ではなく、道路遊びの騒音が受忍限度を超えているとはいえないという判決です。

しかし、これは日本人の昔の感性に基づいた判決であると感じてしまいます。通常はそこに音源がないにもかかわらず、利用者だけの都合で音を発生させ、それを強制的に聞かされる状況をつくるというのは、現代では間違いなく騒音です。保育園や公園は、子どもの声が発生する必然性があるため、それは騒音でないと言えなくもないですが、道路族の場合には騒音ととらえられても仕方ないと考えています。

昭和に「子どもの声」で裁判になった事例はない

上記の条件を当てはめると、話題になった「ストリートピアノ」も騒音ということになります。ストリートピアノとは、駅や街中の施設など公共の場所に設置された誰でも自由に弾けるピアノのことです。酔って騒いでピアノを弾くなどの迷惑行為の場合にはもちろん騒音ですが、それ以外の場合でも人によっては騒音と感じることもあるでしょう。

子どもの遊ぶ声、道路族の騒音、ストリートピアノの音、いずれも騒音であり、騒音でないかもしれません。現代は、声と音と騒音の区別のない混沌の時代なのであり、このような議論自体が無意味な時代なのです。その結果、問題自体を消去してしまおうという考えが蔓延しているように思います。青木島遊園地は廃止、ストリートピアノは撤去、子どもの声は法律で騒音でないと決めてしまうことです。

これらはすべて問題消去の発想であり、問題対応の形ではありません。うるさいからと音響信号機を撤去し、視覚障害者が困ってしまうという端的な例もありますが、なくしてしまうことには必ず弊害があることにも理解が必要です。

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