武田に処刑された足軽、家康を救った驚きの一言 磔にされた鳥居強右衛門は旗指物にも描かれる
武田勝頼は1万5000の大軍で長篠城を囲む。城の南には寒狭川が、東には大野川が流れ、それが天然の堀を形成していた。2つの川が合流する地点の断崖上に城は築かれていた。
力づくで攻めると損害が大きくなることから、武田軍の兵士は竹束をもって、鉄砲や弓矢から身を守りつつ、慎重に攻めた。
また金堀人足を雇い、堀や塀を崩し攻める戦法も使ったという。そのような戦法で攻められたことで、さすがの長篠城も窮地に立った。
長篠城はこのままでは落城してしまう。加勢を乞うべく、岡崎城にいた家康のもとに使者として派遣されるのが、奥平氏の家臣・鳥居強右衛門であった。
強右衛門は、長篠城を脱け出し、家康のもとにたどり着き、城の窮状を訴えることに成功する。家康も単独での加勢は困難と見て、信長に援軍を要請した。
ちなみに『三河物語』には、家康が強右衛門に「信長様は、もうご出陣であろうか。見てこい」と密かに命じたとある。強右衛門は長篠城を出て、池鯉鮒(知立市)に陣を置いていた信長のもとに向かう。強右衛門が家康のもとから来たと知ると、信長は喜び「出陣」のことに触れたという。
強右衛門は、信長の言葉を胸に、竹束を背負い長篠城に走り入ろうとするが、武田方に捕まる。
武田勝頼から言われた一言
強右衛門は、武田勝頼の前に引き出された。
勝頼は言う。「私の言うとおりにすれば、お前の命は助けよう。甲斐国にも連れて行き、十分な知行地(注:将軍または大名から与えられる土地)もやろうぞ。まず、お前を磔(はりつけ)にして、長篠城の者に見せるから、そのときに、お前は『信長は出陣していない。城を開け渡せ』と城内の者に叫ぶのじゃ。そうすれば、お前を木柱から下に降ろそう」と。
すると、強右衛門は「ありがとうございます。命をお助けくださるなら、何でも致しましょう。そればかりか、知行地まで頂けるとのこと、これほどありがたきことがございましょうか。早く、長篠城の近くに磔にしてください」と感激して言上する。
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