武田に処刑された足軽、家康を救った驚きの一言 磔にされた鳥居強右衛門は旗指物にも描かれる

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強右衛門は木柱に括り付けられた。強右衛門は叫ぶ。「城の中の人々、出てきて、お聞きください。この鳥居強右衛門、城にひそかに戻ろうとして、捕まり、このざまだ」と。

城にいた者は出てきて「強右衛門じゃ」と聞き耳を立てる。強右衛門が城内の者に伝えた言葉は、勝頼に言ったこととは、真逆であった。

「信長は出陣していないと言え、命は助けて知行地をくれると武田に言われたが、信長様はもう岡崎まで出陣している。嫡子・信忠様も出陣。先鋒は一の宮、本野が原にいて大軍。家康様、信康様は野田に移り、城を固めている。よって、3日のうちに運は開けよう。そのように、信昌殿に伝えてくれ」と言い放った強右衛門。すぐさま、武田方によって殺された。

武田方としては、強右衛門を使って「援軍は来ない。だからこれ以上、城を守ることは無意味。開城せよ」と言わせて、長篠城内の戦意を挫き、開城させようとしたのだろうが、強右衛門の「裏切り」によって頓挫したのだ。

強右衛門は旗指物に描かれる

強右衛門の機転と死によって、長篠城の将兵の士気は大いに上がったのである。強右衛門は後に旗指物(はたさしもの:戦場で用いられた軍旗や飾り物)に描かれることになる。それが「落合左平次道次背旗」だ。

武士・落合左平次が、戦の時に、背中にこの旗指物を括りつけて戦ったと言われる。その旗指物には磔になった褌(ふんどし)一丁の凄まじい形相の男(強右衛門)が描かれていて、見た者に鮮烈な印象を残す。

落合左平次は武田の臣であったが、強右衛門が処刑されるまでのわずかな時間に強右衛門に接し、その忠義心に感動。磔にされている強右衛門の姿を絵に残して、これを旗指物として使ったという。

濱田 浩一郎 歴史学者、作家、評論家

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はまだ こういちろう / Koichiro Hamada

1983年大阪生まれ、兵庫県相生市出身。2006年皇學館大学文学部卒業、2011年皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。専門は日本中世史。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『あの名将たちの狂気の謎』(KADOKAWA)、『北条義時』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)など著書多数

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