堀江貴文「信用がある人が人生でいちばん強い訳」 肩書やまじめさが価値を持たない「新時代の信用」
「なぜ正直者がバカを見るのか?」
「なぜ優秀なあの人がだれからも信用されないのか?」
「なぜすごくいい加減なのにやたらと信頼される人がいるのか?」
信用の本質を正しくつかむことができれば、これらの世の中の隠された真相が手にとるようにわかるようになる。
そこでまず考えてほしいのが、冒頭の見出しにも掲げた問いだ。つまり、
「堀江貴文はなぜこんなに信用されているのか?」
ぼくという存在は、これからの時代の信用を考えるうえでの格好の材料だと思う。
ぼくのような人間が信用を集めている理由を正しく説明できるかどうかは、時代に即した「信用」観を持てているかどうかの試金石だと言っていいだろう。
みなさんなら、この問いにどんなふうに答えるだろうか?
「いや、お前が信用を語るなよ(笑)」
あえて自分で言うことではないが、ぼくはかなり多くの人から信用されている。
ぼくは今50歳だ。世の中の50歳の平均値と比べても、圧倒的に信用されているのは間違いない。
たとえば、手元にある大事な100万円を「得体の知れない50歳のおじさん」か「ホリエモン」のどちらかに預けなければならないとすれば、みなさんはどうするだろうか? おそらくぼくにお金を預けるという人のほうが多いのではないだろうか。
とはいえ、たとえばツイッターでこんなことを呟けば、「俺は堀江のことなんて信じていないぞ!」「どの口が言っているんだ?」「いや、お前が信用を語るなよ(笑)」などと書き込む連中がどっさり釣れるだろうことは容易に想像がつく。
なかには「タレント」や「芸人」や「◯◯学者」と名乗る人もいるかもしれない。
また、こういうどういった実績があるのかよくわからない人を信用している人もいるので、これに便乗していろいろと書き立てるツイートもわいてくるだろう。
ぼくにとって、こんなのは日常茶飯事だ。なんということもない。
何を言われても超然としていられるのは、彼らのほとんどがぼくよりも圧倒的に信用のない人たちだからだ。だから、彼らのセリフをそっくりそのままお返しするだけでこと足りる。
「いや、お前が信用を語るなよ」
─以上(笑)。
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