堀江貴文「信用がある人が人生でいちばん強い訳」 肩書やまじめさが価値を持たない「新時代の信用」
「なぜあんな人間がもてはやされているのか?」
「なぜあんな人間がつくった会社に8000億円もの時価総額がついたのか?」
「なぜツイッターに350万人以上のフォロワーがいるのか?」
「なぜYouTubeが合計5億回も再生されているのか?」
「……いったいなぜだ─?」
この謎が解けたとき、あなたは「新時代の信用」を集められる人間になれる。
ぼくが信用されているという事実から目を背けて、考えることを放棄し、いつまでも「あんなやつを信じる人間の気が知れない!」などと言っている人からは、すべてがこぼれ落ちていくことになる。
とはいえ、ここまで読んでくれているあなたは、そうした残念な人たちとは一線を画していると言っていいだろう。
「新しい信用」の本質まではつかめていないにしても、そこに何かしらの問題意識や関心を持てている時点で、時代の流れを正しく洞察・予感できているのは間違いないからだ。
そう、たしかに現代においては「信用」を支える原理そのものが変わってしまった。
かつては、先ほど挙げたような人物像や行動様式に沿って生きていれば、わりと簡単に信用が得られた。
その枠組みに収まっていさえすれば、だれでも確実に「信用される人」になれた。
でも今はちがう。時代が変わったのだ。
こんな人物像や基準は、まったく「信用」に値しない。
むしろぼくは、これに多く該当する人とつき合うのなんかは、まっぴらごめんである。いまだにこんな基準を満たして安心している人を、ぼくはまったく信用しない。
信用1.0と信用2.0
今回の『信用2.0』では、先に列挙したような、かつては通用していた信用のための行動基準や人物像を「信用1.0」と呼ぶことにする。これに対して、ぼくが大切にしたい価値観のほうを「信用2.0」と名づけることにしよう。
まあ、話をわかりやすくするための便宜上の名称だと思ってほしい。名前なんてものはどうでもいいのだ。
ひとたび「信用の資産家」になれば、あとは人生がプラス方向に転がり続けるだけ─。
信用の元手を正しく運用し、一緒に大きく育てていこう。
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