なぜ今、神田昌典氏は「読書会」を推すのか? 明治維新の原動力も、読書会にあった!

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――歴史の転換点で新しい価値観を創造するには、ひとりで読むより、みんなで読む読書会のほうが適しているのでしょうか。

混迷する社会では、ひとりでは問題は解決できません。問題を解決するには、高度な知的創造が必要です。それには読書会が最良の手段です。本を中心にして異なる考えの人たちが話し合うため、良質なコミュニケーションが生まれます。さらに参加者同士のつながりができて、そこから新たな知が創造されるのです。

明治維新の原動力も、読書会にあった

神田昌典(かんだ・まさのり)
経営コンサルタント、作家。上智大学外国語学部卒。ペンシルバニア大学ウォートン校でMBA取得。1998年に経営コンサルタントとして独立。近著に『バカになるほど、本を読め!』(PHP研究所)、『ストーリー思考「フューチャーマッピング」で隠れた才能が目覚める』(ダイヤモンド社)、『挑戦する会社』(フォレスト出版)ほか

歴史を見ても、明治維新の原動力は読書会にありました。吉田松陰の松下村塾や緒方洪庵の適塾は、高杉晋作、伊藤博文、福澤諭吉ら、時代のリーダーを排出しました。

ほかにも全国で同じような私塾が開かれていました。そこで行われていたのが、今で言う「読書会」だったのです。ひとつの書物をみんなで読み、日本はどうあるべきか、自分たちに何ができるかを話し合っていました。

さらに歴史をさかのぼると、ソクラテスメソッドという教育法があります。ソクラテスが弟子に対して一方的に知識を授けるのではなく、問答を通して学んでいく方法です。仏教でも、経典について師が質問し、弟子が答えるという問答形式の講義が行われてきました。教える側が単に正解を与えるのではなく、話し合いの中から習得していく方法です。

――いずれも日本の学校教育では、あまり行われていない教育法ですね。

時代の価値観が一度セットされると、あとはそれに沿った人材を作り上げていくことになるので、これまでは上から下に一方的に教える、いわゆる軍隊式の教育が行われてきました。生産性を高めるためには、均質な人間を作り上げることが最も効率的だからです。

幕末の松下村塾の時代には、良質な教育は一部のエリートしか受けられませんでした。しかし、戦後の70年間に教育は広く浸透し、ぜいたく品ではなくなりました。誰もが文字を読めて九九ができる。これは人類史から見れば大きな飛躍です。

その結果、ようやく「知識創造教育」ができる時代になりました。アイデアや解決策を自らの頭で創造し、社会や会社の課題、問題を解決していく。すなわち、考える力をつける教育です。

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