太宰治「走れメロス」の滅茶苦茶だけど天才な逸話 実際の行動はメロスと真逆、でも愛されたワケ

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初めて太宰君に会ったのは、昭和五年の春、太宰君が大学生として東京に出て来た翌月であった。太宰君は私に二度か三度か手紙をよこし、私が返事を出すのに手間どっていると、強硬な文意の手紙をよこした。会ってくれなければ自殺するという意味のものであった。私は驚いて返事を出した。

初対面の太宰君は、しゃれた着物に袴をはいていた。ぞろりとした風である。下着は更紗であった。ふところから自作の原稿を取り出して、これをいますぐ読んでもらいたいと云った。

(井伏鱒二「解説」『太宰治集』上巻、新潮社、1949年)

「会ってくれなければ自殺する」と言われてしまっては、そりゃ会うしかない。太宰自身は井伏の作品に対して「14のときから愛読していた」と述べていたのだが、そんなずっと敬愛する師匠になんつー手紙を送るんだ……と驚愕する方も多いだろう。

だがこの後、まんまと井伏は太宰を弟子入りさせることになる。太宰の「圧の強い泣き落とし手紙術」は間違っていなかったのだ。

その後も圧の強い手紙を送る

これ以降、太宰はしばしば井伏に圧の強い手紙を送っている。

きょうは三十一日で、月末のやりくりの苦しみで、たいへんでした。うちからは、だんだん送金を、へらされるし、きょうは、あちこち電話をかけたり、手紙を書いたりして、路をあるきながら涙が出て、うちへはいってから、わんわん声たてて泣きました。
あんまりくやしくて、もう、病気がぶりかえしても、かまわんと、ビイルを呑んで、午後四時ごろ寝てしまいました。(中略)
きょうは、煮えるような苦しみを、なめました。井伏さん。ときどき(二月に一度くらいでいいから)力をつけて下さい。そうでもなければ、私は死にそうです。
こんな筈じゃなかったと、苦しさがむしろ不思議なくらいです。(中略)
生きている限りは、みじめになりたくないのです。なんとかしてこの難関をひとりで切り抜ける覚悟ですから、御安心ください。
(小山清(編)、太宰治(著)『太宰治の手紙 返事は必ず必ず要りません』河出書房新社、2018年より引用、「昭和10年10月31日 井伏鱒二宛」)

……「御安心ください」ではないだろう!と全力でツッコミを入れたい手紙。

よく知られているように、太宰治はつねにお金に困っていた。借金も多く、そしてその返済が追い付いていなかった。この手紙で省略した部分にも「妻に支払いを待ってもらうことにしたと言われた」場面が出てくるが、そうしているうちに借金は膨れ上がる。そのことについての愚痴と弱音を、しばしば太宰は井伏への手紙に書いていた。

こんなことを言われて「御安心」する師匠はいない。実際、井伏はよく太宰の借金を肩代わりしていたらしい。

有名なエピソードに、この手紙から翌年の昭和11年、井伏鱒二が太宰の膨れ上がった借金を肩代わりする話がある。かの有名な「熱海事件」だ。その出来事は、太宰が小説執筆のために熱海の宿にこもっていたところから始まる。

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