ライフライン停止、迫り来る火災の中で368人の入院患者を守りきる-東日本大震災、その時、医療機関は《1》気仙沼市立病院
宮城県気仙沼市(人口約7万4000人)は宮城県北東端部にある都市だ。長く水産業で栄えてきた港町を東日本大震災による大津波およびそれに続く大火災が襲い、死者600人、行方不明者1471人(3月29日午後7時現在)という甚大な被害を出した。地震から2週間以上が経過した29日現在でも、1万2656人が市内92カ所の避難所で生活を続けている。
気仙沼市の医療における最後の砦が気仙沼市立病院(=タイトル横写真、病床数451床)。気仙沼市および地震で壊滅的な被害を受けた南三陸町をカバーする地域の中核病院(2次救急医療機関)で、気仙沼市立本吉病院および公立志津川病院(南三陸町)が地震で診療機能停止・縮小に見舞われる中でも、最大限の診療を継続してきた。
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市内の多くの診療所や調剤薬局が津波で壊滅的な被害を被ったのとは対照的に、高台の岩盤の上に立つ気仙沼市立病院は「無傷」で済んだ。3月27日夕刻に当社記者の取材に応じた加賀秀和事務部長(写真)によれば、「心配した建物被害はなく、診療機材も影響を受けなかった」。そのため、震災後、市内および隣接する南三陸町などから患者が集中。東京DMAT(東京都の災害派遣医療チーム)やJMAT(日本医師会の災害派遣医療チーム)、日本医科大学などの応援を受けて、院内や避難所で患者への診療に当たってきた。
加賀事務部長によれば、「3月22日朝までにトリアージ(重症度分類)に基づく非常時の診療態勢は終了。22日から外来診療を再開した(ただし内科、脳外科、整形外科は未稼働)。ようやく正常化に向けて動き出した」という。
もっとも、建物や設備が無傷だったとはいえ、気仙沼市立病院がくぐった修羅場は想像するに余りあるものだった。外部からの電力、水、ガス、通信が途絶する中で、約180人の人工透析患者への診療継続、火災が迫る中での入院患者の避難準備など、困難な対応に追われた。しかし、3月15日の「通電」(電気の復旧)によって最悪の事態を回避。迫り来る火災も、消防が消し止めた。
現在までの状況について、加賀事務部長に振り返ってもらった。
--地震発生から電気が復旧するまでの状況はどのようなものでしたか。
電気が復旧するまでの間、自家発電装置の燃料であるA重油の確保に苦慮しました。津波によって、市内にあった石油タンクの油が湾内に流出。それが引火して大火災が起きたためです。その結果、新たな燃料調達は不可能と判断をせざるをえませんでした。たまたま運がよかったのは、震災の直前、当院にA重油を補給するために来ていたタンクローリーの重油が残っていたことでした。