ライフライン停止、迫り来る火災の中で368人の入院患者を守りきる-東日本大震災、その時、医療機関は《1》気仙沼市立病院
--大変な努力ですね。
もう一つ、申し上げたいのは看護部の職員の働きでした。
当時、病院には被災した市民が押し寄せ、家族や友人の安否照会もひっきりなしにありました。そうした中で、入院の有無や入院していない患者の所在について情報を出せるようにすべく、病院のセンターホールに窓口を置いて、一人一人の患者から所在や今後の行き先について聞き取りを続けました。これらの取り組みは日頃の訓練では特にありませんでしたが、看護職員の努力によって続けられました。
約300人いる看護職員のうち、100人以上が家族や家を失いました。そうだったからこそ、被災者として病院を訪ねてくる方々の気持ちに共感することができたのだと思います。家に戻ることが難しい方々も多かったので、自家用車で病院に来る方を見つけては、どちらの方面に帰りますかとたずね、相乗りをお願いしました。これらの仕事にも看護部の職員がたずさわりました。
--まさに綱渡りの対応でしたが、冷静に綱を渡りきりましたね。
大震災下にあっても、気仙沼市では市立病院と市役所が致命的な被害を受けずに済みました。2度の大火、明治の三陸大津波、チリ地震による大津波、宮城県沖地震、県北部地震など、立て続けに災害に見舞われる中で、市民の防災意識は高い。市役所では防災は危機管理課が担っており、防災教育や啓発活動を徹底し、学校教育や自主防災組織の整備にも力を入れてきました。また、津波防災マップを作ってきました。ただ、今回の津波はあまりにも大規模で、想定域を超えていました。
--今後、どのようにして、地域医療を正常に戻していく考えですか。
現時点ではインフラ回復が十分ではない。電気や水道の復旧も限定的で、市ガスの回復の見込みも立っていません。開業医の多くも被災しており、診療所や薬局の回復も困難を極めています。一時2万人を超えていた避難所生活者は、今も1万3000人近くいます。